「羽と鎖、陽と風」改め「北風に羽、太陽に鎖」 3 戦争の終結後、二人は復興したオーブの郊外に、住んでいた。 決して大きくはない家と、少しだけこだわりの家具とを買って。 それ以上の、親の遺産は全て戦災復興のため寄付をした。 二人を結び付けているのは、戦争による数々の痛みと、 一人の少年への思い出。 彼は戦争の最後、搭乗していた機体の爆発の中、姿を消した。 しかし彼女たちは、彼が帰ってくると信じていた。 同じように、彼が生きていると信じるアスランとカガリは、彼を探しに出かけた。 あいつは自分で帰ってくるかもしれない、だから残って待つ者も必要だ、とのカガリの言葉に、 フレイはしぶしぶと、ラクスは静かな笑顔で、それに同意したのだ。 だから、彼女たちは二人で彼を待っている。今日も。 北風に羽、太陽に鎖 4 それは必ずしも、良い事ばかりを表すわけではなかった。 ラクスは地球軍時代から彼と共に戦っていたサイという青年から、 彼が最後まで、フレイの口紅を持ち歩いていた事を聞いた。 それが何を意味するか… ラクスには、彼女自身の意識よりもなお深くで、わかってしまっていた。 フレイは後に彼に協力したディアッカというコーディネータの青年から、 彼に戦う意味を指し示し、前へ歩かしめたのがラクスだったと聞いた。 皆の知る彼は、フレイの知る彼とは違う事。それを変えたのがラクスだという事… それは、彼女の想いの裏側で、不安として渦巻きつづけていた。 だからだろうか、共に暮らしていても、 二人はめったに彼の話をしない。 暮らし始めてから四ヶ月。 その一点において以外、二人はうまくやっていた。 寧ろ、心を許したと言ってもいい。 フレイは最近ではその天性の我儘ぶりを発揮してきていたし、 ラクスもまた、ところ構わずとぼけてはフレイの調子を狂わせていた。 そうやって等身大のまま理解しあい、ボランティアに協力する二人を、 「和解の象徴」と見る人々もいた。 もっとも、誰も二人の本当の身分など、知りはしなかったが。 北風に羽、太陽に鎖 5 朝食とその片づけが終わり、一息つくと、フレイはピアノの蓋を開いた。 ヘリオポリスへ移住した頃からは、学業のこともあり それほど触っていたわけではなかったが、 ピアノは3歳の頃から習い続けていた趣味の一つだ。 最近は、ラクスの歌にあわせて、また弾くようになっていた。 そして、ラクスがどこかから手に入れてきた 中古品のこのピアノの音色が、フレイは好きだった。 ピアノの音には、長年その鍵盤を叩いた者の性格がうつる。 このピアノのやわらかい音は、弾く者、聴く者の心を和ませた。 きっともとの持ち主は女性か、そうでなくとも、とても優しい心の持ち主だったのだろう…。 ゆったりとした曲で指ならしをしていると、ラクスがそこに旋律を乗せる。 透き通った声だ。何度も聞いているフレイでも、そのたびに引き込まれそうになってしまう。 だが、そうしてはおれないのだ。 ラクスはいつも即興で、どんどん旋律を変えていくのである。 忘れた頃にもとの曲に戻ったり、他の曲を転調して挟んだりするので 歌に伴奏を重ねるフレイにとって、それは油断のならない時間なのだった。 だがしかし、フレイはそんなラクスの気まぐれを止めようとした事はない。 ついていけないと思われるのは、彼女のプライドが許さなかったのだ。 北風に羽、太陽に鎖 6 この日のラクスは、特に調子が良いようだった。 流れるように、変化にとんだ旋律を歌い継いでゆく。 そこにピアノの和音が重なり、 時に耳になじみの良い音が、時に前衛的な音が続く。 部屋に豊かな響きが満ち、それが窓の外へとひろがっていった。 だが美しい演奏の反面、フレイは指がつりそうな思いをしていた。 ラクスの次の転調をよみかねて和音をはずすと、ラクスはそれに気付いてか おちついた単調な繰り返しをはさむ。 その声が美しくあればあるほど、フレイは、 どこか自分が惨めに思えて、唇を噛みしめる。 ふと、ラクスの歌がやんだ。 彼女はそれにつられて指を止めたフレイの顔を見る。 「わたくし、何か…良くなかったでしょうか?」 「ううん…」 フレイはそう答えるものの、うつむいたまま不機嫌そうに、ピアノの蓋を閉じた。 「なんでもないわよ」 「でも、フレイさん…辛そうな顔をなさってますわ」 「仕方ないじゃないっ!」 心から心配そうに、自分を見つめるラクスの表情に、フレイは逆に癇癪を起こした。 「あんたが、どんどん先に歌っていっちゃうから!」 ラクスは、まるで考えが及ばなかったと言うかのようにきょとんとし、その一呼吸後、目を伏せた。 「そうですか…私は、フレイさんも喜んで奏でてらっしゃるとばかり思っていました」 「…それとこれとは」 「ごめんなさい」 「…だからぁっ、そうじゃなくて…もうっ」 フレイは、ラクスのこの、落ち込んだような表情が苦手だ。 自分のせいにするようなその様子は、なぜだか胸がざわつくのだった。 実際、彼女はラクスと合奏する事は嫌いではなかった。 ピアノを弾くのも楽しいし、ラクスの声も、今は美しいと素直に思える。 だが、その和音を乱すのがいつも自分である事が、悔しくて情けない、などと 口にできるはずもない。 結局、それを全くわかってくれる気配のないラクスへと、怒りが向いてしまうだけなのである。 北風に羽、太陽に鎖 7 「…もういいわよ、なんでもないんだから」 「良くありませんわ」 吐き捨てるように言ってその場を後にしようとしたフレイを、ラクスはひきとめた。 「それで、フレイさんは辛くなくなるのですか?」 フレイは胡乱げにラクスを見る。 ラクスはフレイの手を握り、穏やかに続けた。 「わたくしも次はもっと、フレイさんにあわせますから。だから、何かお望みがあれば」 「だから何でもないって言ってるじゃない!」 ラクスの、思いやるような口調は、フレイの怒りに油を注ぐばかりだった。 「もう、ほっといてよ」 「少し互いにあわせて練習すれば、すぐに調子が揃いますわ」 「無理よ」 「大丈夫ですわ」 ラクスは相手をなだめるように微笑んだ。 「わたくしも、伴奏の方やニコルさんとはいつもそうやって…」 フレイは、自分の頭の中で何かが切れる音を聞いた気がした。 「…だから!」 叫んで、ラクスの手を振りほどく。 「コーディネーターと一緒にしないで!!」 北風に羽、太陽に鎖 8 「……フレイさん…」 「あっ」 フレイは、反射的といってよいほど慌てて、がば、と顔を伏せた。 鮮やかな赤毛が揺れる。 「ごめんなさいっ、私…」 もう、こんなことは言わないと決めたのに。 そんな枠で見ないようになったはずだったのに。 小さい頃から幾度となく繰り返していた考え方は、 無意識に言葉にしてしまうほど、まだ、私を支配していて。 「いえ」 口でそう言うものの、ラクスの表情は僅かに雲っていた。 それは諦観にも似た悲しみの陰。 何か思い出すような、遠い所を見るような、そんな、痛ましげな眼差し。 「ごめんなさいっ」 フレイは、彼女にしては珍しく、素直に、そして一生懸命に頭を下げる。 「私、たしか前も…!」 ラクスはそれを見て、心の中で何かが外れるのを感じた。 彼女もまた彼女にしては珍しく、刺を含んだような笑みを浮かべる。 「…人は、同じ過ちを繰り返してしまう。悲しい事ですね」 「…ラクス」 「おしおきしましょうか?」 「え…?」 フレイは、ラクスの唐突な言葉と、その声の悪戯っぽさに驚いて顔をあげる。 ラクスはそのフレイの顎を、つと引き寄せると、 無防備なフレイの唇に自らの唇を重ねた。 「……!」 フレイは反射的にラクスを突き飛ばそうとし、だが直前でその手を止める。 逡巡するようにその目蓋が震え、そして彼女は静かに両手でラクスを押しやった。 脳裏に蘇る感触。そう、確かに唇は飢えていて。 胸の動悸が高鳴るのを耳の底で聞きながら、フレイはそれを悟られまいと眼をそらす。 これが、キラだったならば。愛している、と、この喉の奥の叫びを、伝えられたのに。 そう言い訳がましく考えてしまった自分をおとなげなく思いながらも、 フレイは、ラクスがどんな顔でいるのかが気になり、一瞬ちらりと盗み見た。 その長い睫が一度大きく閉じ、また開いたあとには、いつものように微笑むラクスの姿がある。 フレイは我知らず、小さく安堵の溜め息をついた。 だがそこへ、ラクスの歌うような声が、追い討ちのように降りかかったのだ。 「その唇で…、あなたはキラを操り…、戦わせたのですね」 「…!」 北風に羽、太陽に鎖 9 フレイは一瞬、何を言われたのかわからなかった。 だがその言葉を幾度か脳で反芻するにしたがい、意味が遅れて彼女のもとへと到達する。 途端、彼女は、視界が真っ暗になるような錯覚に襲われた。 「…ち…」 フレイの眼が怯えたように見開かれ、瞳は落ち着きなく動く。 「ちが…違う…!」 そう口走りながらフレイは、一歩後ずさった。 なぜ…?なぜそんな事を言うの…!?そんなの、ひどすぎる…! いつも温和すぎるほどのラクスが、聖母のような笑顔のままそんな言葉を放った事が衝撃で。 言葉自体の品のない響きと、その意味することが罪悪とされる認識に、 フレイは殴りつけられたような気すらした。 そしてまた、その言葉に込められた情念、衝動のようなもの、に胸が押し潰される。 だがすぐに、ラクスの言葉への戸惑いと恨みは、悔恨へとすりかわった。 その言葉は違わない、それを誰よりも、彼女自身が知っていたから。 そう、私は、キラを騙して…戦わせようとしていた。 彼女の目頭に、熱いものがこみあげる。それは枯れる事のない、謝罪のしるし。 北風に羽、太陽に鎖 10 ラクスは自分で、自分の発した言葉が信じられなかった。 フレイの頬に添えていた自分の手が、まるで他の生き物であるかのように、そこから滑り落ちる。 目の前には、呆然と自分を見つめるフレイの姿がある。 そしてその灰色の両の眼から、涙が零れ落ちた。 「フレイ…さん?」 思わず相手の名前を呼ぶ。だがそれは自分の声と思われないほど、 しゃがれ、うわずったものだった。 私は何を、言ったのでしたっけ…? ああ…きっと、…冗談、だったのですわ。 ただ、それは今まで一度も、私が口にしたことのなかった種類の…。 そして、絶対に言ってはならなかった種類の。 彼女はまだ、気付いてはいなかった。 自分の発した言葉が、一人の女としての言葉であったことに。 ラクスは純粋に、自分の言葉が相手を傷つけてしまったその痛みに、傷ついていた。 謝罪しようと、再び口を開く。 だがその時、フレイの体がふらりと傾ぐ。 「…フレイさん!」 ラクスは彼女を抱きとめる。 フレイはそれをまるで気にかけない様子で、ただ、うわごとのように呟いた。 「…ごめんなさい…」 ああ、なんで。 非道いことを言ったのは、私のはずですのに。 なんで貴女が、謝るのですか…? それも、そのような、痛い声で。 まるであの時のキラのような、とても、悲しげな声で。 「騙してたの、キラ。あなたを、戦わせるため」 「フレイさん」 「パパが死んだ時から、コーディネーターを、憎んで。コーディネーターであるあなたを、恨んで」 「フレイさん…、もう、気になさらないで…!」 私は、本気であんな事を言ったわけではなかったのですから…! そう、あれはただの…、…ただの、何…? それは、時に嫉妬とよばれる、質(たち)の悪い、冗談。 ラクスは痛切に、自分の一言を悔いた。 北風に羽、太陽に鎖 11 フレイは、叱られた子供のように、 自らの手をもう片方の手で握り締める。 ごめんなさい。 キラだけじゃない。 私には謝らなければならない事が、たくさんある。 忘れられないあの光。 多くの命を奪った核爆弾…その力を地球軍にもたらしたのは私。 あの、熱と放射能でぐちゃぐちゃになってしまった基地に、 たくさんの人たちが生きていた。 もしかしたら、キラの知り合いや、ラクスの知り合いも、いたかもしれない。 パパが…誰かの父親が、いたに違いない。 その人の子供は、今どうしているのだろう? 誰かを憎むの?誰か?誰を?ナチュラルを? …私を? 違う、私にそんなつもりなんてなかった。 私は戦争を終わらせたくて。 もうキラみたいに、誰かを死なせたくなんかなくて、それなのに。 キラは、そうしてひどくなった戦いを止めに行って… 今、ここに、いない。 ごめんなさい、ごめんなさい。 何万回だって謝るから。なんだってするから。 みんな、この戦争で死んじゃったみんな、生き返って。 「キラ、…帰ってきて」 北風に羽、太陽に鎖 12 ラクスは何を言えばよいかわからず、ただ、フレイの肩を抱きしめた。 その赤い髪は、自分の歌の意味を変えた瞬間を、思い出させる。 あの時の私は、戦場に立つ方々のことを 『生者』と『死者』、という分け方でとらえていた、けれど。 「パパを撃ったら、この子を殺すわ!」という、悲痛な叫びは、 戦場を支配しているのが『敵』と『味方』という分け方であることを、私に、突きつけたのです… あなたのお父様の魂は、私の歌で鎮められるかもしれなくても。 お父様を亡くされたあなたの悲しみは、歌で慰められようはずがなくて。 それまでの私は、きれいごとの中にいたのだと、知りました。 あの時から、どうすれば『今生きている人』を救えるのかと。 何と戦えば、何をなくせば、これ以上悲しむ人がいなくてすむのかと。 私は考えて、戦って、…そして戦わせてきました。 アスランを。キラを。多くの人たちを。 その戦いの中で、幾人もが、血に染まりました。 数え切れない人が、命を落としました。 そう、"戦わせた" ……その罪は、私も、同じなのですよ。 "守れなかった" ……その罪は、私も、同じなのですよ。 「…ごめんなさい」 北風に羽、太陽に鎖 13 自分を包む腕の温かさに、フレイはふと我に返る。 「…ラクス」 目の前には朝の陽を受けてきらめく、桃色の髪。 ラクスの顔は自分の肩越しにあり、その表情は見えない。 ただ伝わってくる体温と。心臓の鼓動。 それを感じるなかで、なんとなく、フレイは思った。 もしかして、共に、泣いてくれている…? 自分の痛みを受け入れてくれる人がいること。 それが、赦されようのない自分にも、何かが残されているように思わせてくれる。 フレイはその頭を、軽くラクスの肩にもたせかける。 そしてまどろむように、目蓋を閉じた。 花片のように、優しく弾む口づけと。 羽で包むような、やわらかい抱擁と。 ラクスのそれは、フレイには持ち得なかったもの。 与え得なかったもの。 このように、やわらかく、暖かく、抱きしめてあげられたら。 キラ、あなたは苦しまずにいられた? 駆り立てるように、掻き乱すように。 思惑の鎖で絡めとるように。 そのようにしか、抱きしめてあげられなかった自分を思う。 そのようにしか、抱かれてあげられなかった自分を思う。 ごめんね、キラ。私たち、間違っていたわね。 想いは溢れ…、しかしそのやり場はない。 フレイは、ラクスの肩にしがみついた。 迷子だった子供が、迎えに来た母親に抱きつくかのように、強く。 北風に羽、太陽に鎖 14 きつく抱きしめられて、ラクスは眼を開けた。 「…フレイさん」 目の前には朝の陽がくっきりと陰影を刻む、緋色の髪。 ラクスはフレイの力のこもった腕と、震える肩を、そっとなでた。 離すまいとしがみつくような、固い抱擁。 鎖のように強い、千切れない想いの証。 フレイのそれは、ラクスには持ち得なかったもの。 与え得なかったもの。 …卑怯ですわ。 そうやって、全てを懸けるように、抱きしめられてしまったら。 ラクスは、焦げ茶色の髪もつ少年の優しい顔を思い浮かべ、笑みを漏らす。 守ってあげたくなってしまうに、決まっているではありませんか。 北風に羽、太陽に鎖 15 二人は、一人の少年への想いが、自分を変えたことにまだ気付いていない。 全てを慈しみ、人を暖めようとした少女は その想いから、女としての自分に錨をおろす。 全てを憎み、人を凍えさせるようだった少女は その想いから、誰かを愛せる者として翼を広げる。 戦いが壊した世界の片隅で、誰もが元のままではいられない。 戦いを治めた世界の片隅で、誰も元の自分に縛られない。 通り過ぎた旅人が帰途を辿るならば、寓話はその形を変えるだろう。 北風に羽、太陽に鎖 〜蛇足〜 「なあアスラン」 「なんだ」 「あいつらさ、ああやって家買って、キラが見つかったら一緒に住むつもりらしいけどさ」 「ああ」 「キラのやつ、親…あ、スマン」 「いいよ。親御さんと暮らすんじゃないか、ってんだろ」 「そ、そうだ」 「どうだろうな。ラクスの考えてる事は、わからないからな」 「元婚約者だろ?」 「だから元、なんだろ。…きっと」 「でもキラ、挟まれてどうするつもりなんだろうな」 「さあな…カガリ、なんでお前が楽しそうなんだ」 「昔のこと思い出してさ。すっげえぞ、フレイってやつは」 「いや、ラクスだって負けてないだろ」 「い〜や、フレイだね。お前は分かってない」 「分かってないって…何をだ?」 「…教えてやらない」 「なんでだよ」 「だってお前は、わからなすぎだからな」 「だから何を!」 「女ってヤツをさ」 「…ぷっ」 「…なっ、なんでそこで笑うんだよ!」 終 |
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