キラ(♀)×フレイ(♂)・7−1 アルテミス要塞への入港が許可されたアークエンジェルだが、入港した途端、 銃を持った兵士が大勢乗り込んできた。クルーはまるで捕虜扱いのように 拘束され、マリュー達幹部三人は腕を頭の後ろに組んだまま連行されしまった。 「どうして、アルテミス要塞は友軍のはずじゃなかったの?」 キラの素朴すぎる疑問にノイマン准尉が答える。 「確かに同じ地球連合ではあるが、俺たちが所属しているのは「大西洋連邦」で、 アルテミスは「ユーラシア連邦」に属していて、識別コードさえない。 同じ軍隊内でも色々とあるのさ」 ノイマンの答えにキラの顔色が悪くなる。 流石にキラも、戦争に絶対善対絶対悪(ハルマゲドン)があるほど単純なもの だとは思っていなかったが、アスランから聞いた「血のヴァレンタイン」といい、 こうまで味方の暗部を見せられると、何が正しいのか分からなくなってくる。 今の問答でアスランの事を思い出したキラは 「どうしよう、艦長たちがいない時に敵襲でも受けたら…」 「その心配だけはないと思うな。アルテミス要塞は「全方位光波防御帯」とかいう 防御システムで難攻不落が売りなんだ。いくらザフト軍の精鋭部隊でもアレは そう簡単には突破できないはずだ」 こんな状況が何時までも続くのなら、敵襲があった方がいいかも知れないがな…と ノイマンは密かに心の中で思ったが。 ほどなくして、禿頭のユーラシアの仕官が入ってきた。本人は自分を基地司令官 のジュラード・ガルシアだと紹介した後、押柄な口調でMSのパイロットと 技術者について尋ねてきた。 恐る恐る手を挙げ、馬鹿正直に名乗り出ようとしたキラをマードックが押しとめた。 「何故我々に聞くのです?艦長たちが言わなかったからですか?」 ノイマンの質問にキラは息を飲んだ。何となくだが、アルテミス入港前にフラガ からストライクのOSをロックして、キラ以外には起動出来なくするよう 指示された理由が分ったような気がした。 その間もノイマンとガルシアの舌戦は続いていたが、ガルシアは期待する回答が 得られないと分かると強行手段に出た。 「きゃあっ!」 ガルシアに腕を捻られたサイが悲鳴を上げる。 「まさか女性がパイロットとも思えないが、この艦の艦長も女性という事だしな」 「やめろぉ…!」 苦痛と恐怖に顔を歪めるサイを助けようとフレイがガルシアに飛びかかろうとしたが、 脇を固める警備兵に警棒で殴られあっさりと吹っ飛ばされてしまった。 「「フレイ!!」」 サイとキラが同時に悲鳴を上げる。 アークエンジェルのクルーが色めき、それに応じてガルシアの警備兵も殺気立つ。 「もうやめて下さい。ストライクのパイロットは私です」 この場の騒然とした雰囲気に耐えられなくなったキラがついに告白した。 「キラっ」 サイが申し訳なさそうな目でキラを見る。ガルシアはサイの腕を放して キラに近づくと、乱暴にキラの顎をしゃくり上げる。 「先ほど私が口にした冗談を真に受けられても困りますな、お嬢さん」 「ほ…本当のことです!」 キラはガルシアに触れられる嫌悪感に耐え涙目になりながらも必死で言い返す。 「フン、アレは君のような小娘に扱えるような代物じゃない。 いい加減な事を言うな!」 「その娘の言っていることは本当だよ」 一発触発の雰囲気の場に乾いた声が響き渡る。 壁際まで吹き飛ばされミリアリアに介抱されていたフレイが、口元の 血を拭いながらノロノロと立ち上がり決定的な一言を口にした。 「だって、その娘はコーディネイターだから…」 キラ(♀)×フレイ(♂)・7−2 「フレイ、お前!」 キラがガルシアに連れていかれ、銃を持った敵兵がいなくなり、 一見嵐は去ったかのように見えたが、食堂内には別の嵐が吹き荒れていた。 トールがフレイの襟首を締め上げる。実力行使も辞さない迫力だ。 「本当の事だろ」 フレイはトールから目を反らさず詫びれもせずに応える。 「地球軍が何と戦っているか分っているのか!?」 「知ってる」 あまりにあっさりと言い切ったフレイに一瞬トールは言葉に詰まった。 「だったら、何で…」 そのトールの問いに、流石にフレイは後ろめたそうに顔を背けると 「どうせ早かれ遅かれバレる事さ。時間の問題だ…」 「て…テメェ!」 「お願いやめて!」 フレイに殴りかかろうとしたトールの間にサイが必死に割って入る。 「お願い、フレイは私を助けようとしただけなの。許してあげて!」 「くっ!」 トールも、自分の婚約者を助けるために真っ先に飛び出して敵兵に殴られた フレイの姿を思い出し、しぶしぶ拳をおさめた。 「後でキラにはちゃんと謝っておけよ」 離れ際トールはフレイにそう呟いたが、フレイは終始無言だった。 「OSのロックを外せば良いのね」 キラはストライクのコックピットに座ってガルシア達の前で端末の操作をはじめる。 先ほどの食堂での遣り取りを思い出し、キラの胸が詰まる。 「だって、その娘はコーディネイターだから…」 フレイはフレイなりに婚約者であるサイを助けようとして起こした行動なのは分かる。 だがその為に、自分がフレイからガルシア達に売られたという一面は否定できない。 フレイを助けようとパイロットであることを名乗り出たのに、フレイのキラとサイ に対する扱いの差を思うと涙がこみ上げてくる。 フレイに守られるサイとフレイに売られたキラ。 どうして? 私がコーディネイターだから。 これは、この先も一生キラについてまわる問題なのだろうか。 「ところで君はOSの解除の他にも色々な事が出来るのじゃないか? たとえばこいつを解析して同じ物を作るとか、逆にこういったMSに対抗する 兵器を作るとかな」 ガルシアの耳障りな声が、思考の淵に沈んでいたキラの意識を現実へと引き戻した。 「私はただの民間人です。軍人じゃありません。そんな事をするつもりはありません」 ガルシアの卑下た表情と発想の卑しさに、キラは嫌悪感を隠せなかった。 この人達はマリューさん達とは違う。一体どちらが軍人の本当の姿だろう。 「だが、君は裏切り者のコーディネイターだろう?」 そのガルシアの一言に、キラは凍りついたように動きを止めた。 「う…裏切り者?」 「どんな理由かは知らんが、どうせ同胞を裏切って、その屍の山を築いて ここまで辿り着いたんだろ。ならユーラシアで戦っても同じだろう?」 キラの表情がみるみると青ざめていく。 「ち…違うの、私は……」 キラがOSのロックを外し終えて、機体の起動をかけた時、激しい振動と共に 警報が鳴り響いた。 後で知ったことだが、ニコルの操作するブリッツが、ミラージュ・コロイド (機体のステルス化)の能力を使って要塞内に侵入して、アルテミスの防御装置 を破壊し、デュエルとバスターを招き入れたのだ。 そこから先の事はキラはあまり覚えていなかった。 これ以上あんな奴らと一緒にいたくない一心から、キラは混乱を利用して ガルシア達を出し抜くと、ストライクを起動してその場から逃げ出した。 途中ブリッツとも遭遇して交戦したような気もするがよく覚えていない。 キラと同じく、混乱を利して自力で脱出したらしいアークエンジェルに飛び乗り、 アルテミス要塞を後にする。 直後、アルテミス要塞が爆発したが、今の冷え切ったキラの心には何の感慨 も与えなかった。 キラ(♀)×フレイ(♂)・8 早朝(宇宙空間に昼も夜もないが)目を覚ましたキラは、鏡の前に立って 自分の顔を覗き込む。 昨日は一晩中泣き明かしたキラの顔には、涙の痕がクッキリと残っていた。 水不足でシャワーを浴びる事が出来なかったので、洗面器一杯のお湯で 顔を洗い、あまり得意でない化粧道具を駆使して何とか涙の痕跡を 消し去ることに成功したキラは食堂へと向かう。 昨日から、「裏切り者」の単語が頭の中にこびり付いて離れない。 えっ? 前方からフレイがサイと連れ立ってこちらに歩いてくるのが見えた。 「ほら、フレイ」 サイがそう言ってフレイの脇を軽く肘で小突いたので、フレイは少し躊躇った後、 「キラ、昨日はすまなかった」とキラに謝罪し頭を下げた。 「フ…フレイ?」 「すまない、サイを助けるためとはいえ、君を売るような真似をしてしまって。 僕は…僕は……」 フレイは辛そうに顔を背ける。 サイの目からは、フレイの大仰な仕草は少し芝居掛かって見えたが、 キラは素直にフレイが頭を下げてくれたことに感動し、 「いいのよ、別に。気にしてないから……」 まだ早朝からの鬱気分から気持ちを完全に切り替えられなかったキラは、 無理してフレイに微笑んで見せる。 それに、私がコーディネイターなのは本当のことなんだし…。 自嘲するように心の中でそう付け加えながら。 「そうか、そう言ってもらえると助かるよ」 フレイはキラからの許しが得られると、義務は果たしたと言わんばかりに、 サイを連れてその場を離れていく。 キラは仲陸まじく語り合う二人の後姿をじっと眺めながら、自身を惨めと感じて いく気持ちを抑えることが出来なかった。 結局、アルテミスで補給を受けられなかったアークエンジェルは、深刻な 物資不足に悩まされていた。 その解消案として、フラガは遺棄された艦船等から物資を調達するために デブリ帯へ降りることを提案する。 マリューの予想通り、最初その案をキラに聞かせた時、キラはあまり良い顔 をしなかった。 作業ポットを使い遺棄された艦船を漁って、物資を調達するところまでは 何とか耐えられた。 だが、その魔の手を、かつて血のヴァレンタインによって崩壊したユニウス7 にまで伸ばすと聞いて、キラは爆発した。 「あそこの水を……本気なの!?」 「あそこには一億トン近い水が凍り付いているんだ。他に水は見つかっていない」 キラは眩暈がした。 血のヴァレンタインと呼ばれた核攻撃で破壊され、何十万もの人間が亡くなった プラントコロニー・ユニウス7。 それはコーディネイターにとっての聖なる墓所であり、凍りついた巨大な水の 固まりは、亡くなった同胞達の悲しみの涙のようにキラには思えた。 自分はその聖なる墓所に土足で足を踏み入れ、死者の涙を啜ろうとしている。 死者に対するこれ以上の冒涜が他にあるだろうか。 キラは必死で抵抗したが、フラガ達に説得されるまでもなく、ここで代案なき 感情論を唱えたところでどうにもならない事もまた分っていた。 ここで餓死したら、今までキラがしてきた事が全て無駄になってしまう。 同胞を殺し…アスランを敵にまわしてまで、キラが守ろうとしてきたもの全てが。 一体私はどれだけの罪を重ねれば気がすむのかしら。 護衛役を仰せつかったストライクから、僚友が凍りついた水を切り取り、 AAへと運搬する作業を尻目に見ながらキラは考える。 友達を守るためと称して、多くの同胞をこの手で殺してきた。 自分に救いの手を差し伸べてきた旧友の手を振り払い、あまつさえ刃を向けた。 そして、何十万もの同胞の眠る聖なる墓所を暴いて、 死者の涙さえも自分が生きる為に啜り尽そうとしている。 もしコーディネイターの神がこの世に存在するとしたら、きっと私は死後 地獄へ落とされるのだろう。 アークエンジェルと関わって以来、キラの気分が躁になった事など一度も なかったが、今キラの気持ちはどん底までに落ち込んだ。 その時、ストライクのレーダーが移動物体を発見した。 敵!? キラは緊張しながらも、狙撃用のライフルを取り出してスコープを 覗いてみる。スコープの中に映っていたのは……。 「つくづく拾い物が好きなのだな、君は」 ナタルの声にキラは赤面する。 キラが拾ってきたのは、個人用の救命ポットだった。 ザフト製であることが確認されているので、乗っているのはコーディネイター である可能性が高い。マードックが慎重にポッドを操作してハッチを開く。 緊急の事態に備えて、ポッドを取り囲んだ兵士が銃を構える。 だが、中から飛び出してきたのは、ピンク色の球状の奇妙な物体を抱えた、 同じピンク色の髪をした不思議な少女だった。 キラ(♀)×フレイ(♂)・9−1 「ラクス・クラインだって?」 フラガの記憶が正しければ、それはプラント最高評議会議長シーゲル・クライン の一人娘で、プラントの歌姫と呼ばれるアイドルの名前だ。 「私も何度か立体映像で彼女の顔を見たことがあるけど、どうやら本人みたいね」 「マジかよ…」 聞けば、彼女はユニウス7の追悼慰霊の代表でその事前調査に来ていたところ、 地球軍の艦隊に船を沈められ、側近にポットに押し込められたそうである。 それを聞いてマリューは頭を抱える。 戦場でならまだしも、慰霊活動をしている非武装の民間船を沈めるとは。 この頃の地球軍のモラルは低下する一方である。 「それにしてもコーディネイターっていうのは、皆ああなのか?」 敵側の最高権力者の娘で、プラント市民の絶大な支持を集める歌姫となれば 敵国有数のVIPだ。 それが突然敵の戦艦に単身放り込まれたとなれば、どんな傑物でも 物怖じしても可笑しくない…というか不安に慄くのが普通の反応というものだが、 フラガが呆れたように指差した先では、早速自分の居場所を確保してキラ達と 談笑するラクスの姿があった。 本当に天然なのか…それとも天真爛漫な姿は卓越した演技の成せる業か…。 もし、後者だとしたら、やはり只者ではない。 「いえ、あの娘が特別なだけだと思うわ。キラさんとはじめて会った時は 歳相応の少女らしくガクガク震えていて可愛かったものよ。その後の活躍 には驚かされたけど。でも泣き虫なのは今も同じかしらね」 マリューがキラと出会った当初を思い出して、昔を懐かしむように述懐 したが、フラガは無言のまま人知れずラクスへの警戒心を強めていた。 「おいおい、何で僕がそんなことをしなくちゃならないんだよ?」 「そのぐらいしてくれたっていいでしょう? あなた、この船に来てから一人だけ何もしてないじゃない」 食堂で、食事のトレイを前にフレイとミリアリアが何か言い争っている。 「ねぇ、どうしたの?」 食堂に顔を出したキラは、カズィに事情を問いかける。 「キラが拾ってきたラクスとかいうお姫様の食事だよ。ミリィがフレイに 持って行くように頼んだんだけど、フレイが嫌がっているんだ」 それを聞いたキラが、なら自分が…と立候補する前にフレイが 「大体、一人で彼女のところに行って、何かされたらどうするんだ?」 「お前、男の癖に情けないこと言ってんじゃないぞ。 可愛い女の子の扱いなら手馴れたものじゃないのかよ?」 そのフレイの物言いにトールは心底呆れた顔をして嫌味を口にしたが、 フレイは悪びれずに 「それは普通の女の子の話しだろう。コーディネイターの女の子なんて 外見がいくら可愛くても、中身は……」 「フレイ!!」 キラが側にいることに気づいたミリアリアが大声で叫んで、その後に 続いたであろうフレイの暴言を打ち消した。 「も…もちろん、キラは別だよ」 流石に傍若無人なフレイも、今にも泣き出しそうなキラの顔を見て、 慌ててフォローを入れたが、キラが受けたショックを和らげる効果は 見られなかった。 しばらく食堂に居心地の悪い沈黙が続いたが、その沈黙を破ったのは… 「あらあら皆さん。どうかしたのでしょうか、お顔が暗いですよ」 よりにもよって今回の騒動の原因だった。 「ラクス…」 ラクスはニコニコと微笑みながら、そっとキラを抱き締めると 「どうなされたのですか、キラ様。可愛いお顔が台無しですわよ」 彼女がハロと名づけたピンク色のボールが、ハロハロ言いながら キラの周りを飛び跳ねている。 そのハロのコミカルな仕草と、ラスクの持つ不思議な包容力にキラの心が癒さる。 「ありがとう、ラクス」 キラは涙を拭うとラクスに向かって微笑んで、ラクスも「どういたしまして」 と微笑み返すと、キラから身体を離した。 周りにいる皆もラクスの持つ不思議な影響力に感化され、和気藹々とした ムードに包まれてきた。 何故、彼女がプラント市民の心を一身に掴むことが出来るのか、その力の片鱗を 体感したような気分だ。 ただ一人、フレイだけがじっと腕を組んだままクールな表情を崩さず、黒い瞳に 冷めた色を浮かべてラクスとキラの遣り取りを見つめていたが…。 キラ(♀)×フレイ(♂)・9−2 腹が減ったという理由で再び監禁されている部屋を抜け出してきたラクスに ミリアリアは苦笑しながらも、今回の揉め事の要因となった食事のトレイを 差し出した。 「それにしても本当に可愛いわね、このロボット。確かハロって言ったけ?」 お行儀良く食事を頬ぼるラクスを見つめるキラの手の下では、ハロがまるで バスケットボールのドリブル状態のような激しい上下運動を繰り返す。 可愛い物に目がないキラの顔が自然と綻ぶ。 「はい、正式名称はそう言いますが、わたくしはピンクちゃんって呼んで いますわ。アスランに作っていただいた物ですの」 ラクスはさり気無く、だがキラにとっては無視し得ない一言を口にする。 「ア…アスラン……?」 その一言にキラの瞳孔が開いた。思いがけず聞いた旧友の名前に、 まるで癌細胞のように、キラの身体の芯から隅々にまで動揺が繁殖していく。 「まぁ、キラ様はもしかしてアスランをご存知なのですか?」 キラの変化を目敏く察したラクスは、瞳を輝かせながら尋ねる。 周りの皆も…フレイでさえ好奇心を隠せずにキラを見つめている。 「ええ、アスランは私が月の幼年学校にいた頃の友人なの。3年前、 私はヘリオポリスに移り住んで、アスランはプラントに行ってしまったけど」 流石にAAを執拗に攻撃してきたザフト軍の中に、アスランも混じっていた事は キラは話さなかった。 「まぁ、そうでしたの」 同じ秘密を共有した友人を見つけたかのような口調で、ラクスは無邪気に喜んだ。 「それでラクス、あなたは……」 「アスランは将来わたくしの夫となる方ですわ」 内心の動揺を悟られないように尋ねるキラに、ラクスは決定的な事実を口にした。 「ええっ!?それって、もしかして婚約者ってこと?」 今時分の女の子の類に漏れず、この手の話には興味津々といった表情で、 まずミリアリアがラクスの話題に食い付いてきた。 「はい、そうですわ。物心つく前から定められた許婚です」 「サイ、お前と同じだな」 「わ…私達の場合は、親同士が勝手に決めただけで…」 軽く脇を小突いて揶揄するカズィに頬を赤らめるサイ。 「あら、サイ様にもそのような殿方がおられるのですか?」 「あそこにいるフレイだよ」 「まぁ、アスランと似て奇麗な殿方ですね。渋そうな顰めっ面もそっくり…」 「ねぇ、ねぇ。そのアスランさんの写真とか持ってないの?」 「はい、ありますわよ。ここに…」 「うわぁ…。可愛い男の子ね。良いなあ、こんな人がフィアンセだなんて」 「ああ、俺というものがありながら、ミリィの浮気者」 「うふふ、冗談よ、トール」 「皆様、本当に仲が宜しいのですね」 場はキラを無視して異常な雰囲気で盛り上がっていくが、キラの耳には入らなかった。 ラクスの告白を聞いた瞬間、キラは自分の踏みしめている大地が張り裂けるような 衝撃を受けて、目の前が暗転した。 婚約者……アスランに? そっか…そういうことだったんだ。 まだ月にいた頃、キラは何時も一緒にいてくれたアスランに ほのかな想いを抱いており、アスランのさり気無い仕草や態度から、 もしかしてアスランも自分に気があるのではと密かに期待していた。 けど、アスランは一度もキラを抱き締めてもキスしてもくれなかった。 臆病なキラには自身の気持ちを打ち明ける勇気はなく、アスランからの告白を 心待ちにしていたが、結局、最後まで仲の良い友人の一線を越えること なく二人は別れることになる。 でも違ったんだ。 アスランの心は、はじめからキラの上にはなかった。 最初から、全てはキラの一人相撲に過ぎなかったのだ。 キラは虚ろな瞳でラクスを見つめた。 皆は…ラクス自身でさえ浮ついた話しに夢中になっているらしく、 キラの姿が目に入らないみたいだ。 ただ一人、目の前の猥談をつまらなそうに無視していた、 恐らくこの中でキラへの理解から最も遠い所にいるであろうフレイだけが、 皮肉にもキラの異常な様子に気づいていた。 キラ(♀)×フレイ(♂)・10 不幸な話題には事欠かなかったアークエンジェルに、はじめて朗報が訪れた。 ハルバートン提督率いる第八艦隊のコールサインをキャッチし、先遣隊として、 「モントゴメリ」「バーナード」「ロー」の3艦がこちらに向かっているというのだ。 遠からず友軍と合流出来ると聞いてAA全体が色めき立つ。 サイからその事を聞かされたトール達はみな表情を明るくさせ、手と手を取り合って 喜びを分かち合ったが、フレイは腕を頭の後ろに組んだまま、興味なさそうに 皆がはしゃぐ姿を観察している。 「ねぇ、フレイ」 そのフレイの冷めた反応を予測していたらしいサイが、敢えてフレイに声をかける。 訝しむフレイ。眼鏡の奥のサイの表情は隠しきれない喜びに満ち満ちている。 「モントゴメリには、地球連邦外務次官が乗艦しているという話しよ」 サイが少し意地悪に、やや遠まわしな言い方をしたので、フレイはサイが自分の 母親の話しをしているのだと理解するのに、ワンサイクル思考の循環を必要とした。 だが、すぐに 「か…母さんが!?」 先程までのクールな態度が嘘のように、フレイは慌ててイスから跳ね起きると、 むしゃぶりつくようにサイの手を握った。 「ほ…本当に、サイ?」 「ええっ…。ジョアン女史は明日ぐらいには合流できるという話しよ」 フレイの顔が無邪気な子供のようにパッと輝く。 「良かったわね、フレイ」 サイはそんなフレイの幸福を我が事のように喜びながら労わりの言葉をかけ、 フレイは「うん…」と素直に肯いた。 キラは、良い雰囲気になったフレイとサイの様子をじっと見ていたが、 ラクスの告白を聞いて以来、不思議と以前のような嫉妬心を感じることはなかった。 やっぱり私がフレイに憧れたのは、三年前失恋したと思い込んでいたアスランを 忘れたいが為の一種の代替行為だったのかしら。 無論それだけではないにしても、アークエンジェルでフレイと出会ってからの、 キラに対する無情な仕打ちの数々と、彼のコーディネイターに対する偏見が、 フレイに対する幻想を打ち砕き、キラの熱を冷ましている事は確かだ。 「まぁ、あなたはそのようなお優しいお顔も出来ますのね」 その時、まるで図ったかのように、もう一人のコーディネイターの少女が姿を現す。 ラクスの姿を視界に捉えたフレイの顔からスーっと笑みが消えた。 「今の仏面顔も渋くて素敵ですが、先程のような柔らかな笑顔の方があなたには もっと良く似合いますわよ」 「ラ…ラクス!」 今のラクスの台詞にはキラは全く同感だが、ラクス…いや私たちコーディネイター の口から出た言葉を、フレイが素直に受け入れるとは思えない。 案の定、ラクスの言葉に、フレイはみるみる不機嫌になっていく。 本物の天然なのか、ひたすら空気の読めないラクスはフレイの変化に気づかず、 或いは気づかぬ風を装って、ニコニコと笑っている。 フレイはラクスに何か言おうとしたが、キラのおどおどした姿が目に入ったので、 チッと舌打ちしたそうな表情をしただけで、結局無言のまま部屋から出て行ってしまう。 「コーディネイターの癖に馴れ馴れしくするな」ぐらいのことは言われるんじゃ ないかと身構えていたキラは、フレイの暴発が不発に終わったのを見て、 ホッと安堵の溜息を漏らした。 「母さん…」 フレイは恍惚とした表情で窓に手を当てて、予定宙域にモントゴメリが 姿を現すのを今か今かと待ち続けている。 その様は、電車の窓から外の風景を観賞して、瞳を輝かせている園児となんら変わらない。 「ねぇ、フレイって、もしかしてマザコン?」 「ほ…ほら、フレイは幼い頃に父親を亡くして、母子家庭で育ったから…」 思いっきり引き気味のミリアリアに、サイは苦笑いしながらも、何とかフレイを フォローしようとしたが、マザコンという言葉自体を否定するつもりはないみたいだ。 キラはフレイの狂態を見て、百年の恋を醒ましたのかと思いきや、恋は盲目の方らしく、 「あんなフレイも可愛くていいかな」などと密かに考えて赤面する。 アスランへの想いを再確認して、フレイに対する想いを吹っ切ったつもりだったが、 まだ微妙に未練が残っているらしい。 「大変だ、みんな!!」 その時、フレイの不幸を告げる使者が、カズィの姿を借りて現れる。 「第八艦隊がザフト軍の攻撃を受けている」 キラ(♀)×フレイ(♂)・11−1 本来、消息不明となったラクスの捜索としてこの宙域を目指していたヴェサリウスが、 第八艦隊の先遣隊を発見し、クルーゼの指揮の元、急遽方針を変更し攻撃してきた。 「まったくしつこい奴だぜ。あのクルーゼの野郎は…」 クルーゼに何か因縁のあるらしいフラガがイライラした口調で格納庫へと向かい、 パイロットスーツに着替えたキラもそれに続く。 「キラっ…」 後ろから呼び止められたキラが後ろを振り返ると、そこにはフレイが立っていた。 「フレイ……」 意外な来訪者にキラは戸惑う。キラがコーディネイターだと知って以来、フレイ からキラに話しかけてきたのはこれがはじめてだ。 「だ…大丈夫だよな」 フレイは縋るような目でキラに問いかける。よっぽど母親のことが心配なのだろう。 この船に来て、こんな不安そうなフレイの姿をキラは見たことがない。 「大丈夫よ、フレイ。私がきっと何とかするから」 今までのフレイのキラに対する態度を考えれば、ここにきてのフレイの頼みは 少し虫が良すぎたかもしれない。 とはいえ、フレイの哀願を突っぱねるにはキラはお人好し過ぎた。 結果、キラは今の状況を深く吟味せずに、フレイの頼みを安請け合いしてしまう。 「ありがとう…」 ほとんど無意識だろうがフレイがキラの手を握る。 キラの頬が少し赤くなったが、流石にもう以前のようなときめきは感じられなかった。 ただ、それでもキラにはキラなりの現実的な計算があった。 ここでフレイのお母さんを助けられたら、少しはフレイの私に…ううん、 コーディネイターに対する態度も変わるかも知れない。 今更キラも、フレイと恋仲になりたいとは思わなかったが、同じ船で生死を かけて戦っている仲間同士で隔離を抱かれたのではあまりに悲しすぎる。 今回の件が…共解への最初の一歩になれたら…キラはそう願っていた。 だが、キラは何も気がついていなかった。 仮にフレイの母親を助けることに成功して、フレイに認めさせたとしても、 それは単にコーディネイターとしての能力を切り売りしただけの事であり、 フレイのキラ観には何の影響も与えないのだということを。 ましてや、もしフレイの母親を助けるのに失敗したら、その時に待っているのは…。 ストライクに乗り宙域に駆けつけたキラの目の前で、瞬く間にバーナードとローが アスランの乗るイージスガンダムによって撃沈される。 アスラン…。 優しかった旧友の無情な所業にキラの胸が詰まったが、今は一時的にその想いを 振り払った。 守らなければ、せめてモントゴメリだけでも。約束したのだから…。 モントゴメリに群がるジンの姿を見て、キラは慌ててモントゴメリに 駆けつけようとしたが、その前にストライクの姿を発見したイージスが立ち塞がる。 「キラっ!!」 「邪魔しないで、アスラン!今はあなたの相手をしている暇はないの」 キラはイージスを振り切ろうとしたが、アスランは執拗にキラに絡みつき、 仕方なくキラもイージスと交戦する。 「何をやってるんだ、あいつは…」 イージスを振り切れないストライクの姿に、フレイの端整な顔が焦りに歪む。 キラと別れた後、艦橋に乗り込んだフレイは、サイに頼み込んで無理やり 艦橋に場を確保してしまう。 マリューが「今は戦闘中です。非戦闘員は艦橋を出て!」と叫んだがフレイ は無視した。 艦橋のクルーは目まぐるしく変わる戦況に対応するのに手一杯で、とても フレイを追い出すのに裂く余剰人員の余裕は無い。 戦況は素人のフレイの目から見ても極めて不利だった。 アークエンジェルはヴェサリウスの相手で精一杯。ストライクはイージスを 振り切れず、頼みの綱だった前回大車輪の活躍をしたフラガのメビウスは 被弾し帰艦している。 既に戦闘力を失ったモントゴメリは、今まさにジン達の生贄に処されつつある。 このままだと母さんが死ぬ。 追い詰められたフレイの頭に天啓のような考えが閃いた。 「フレイ!?」 今まで退去命令を無視し続けたフレイが、凄い勢いで艦橋から飛び出していった。 キラ(♀)×フレイ(♂)・11−2 「あら、どうなされたのですか?お怖い顔をなさって」 フレイは無表情のままラクスの監禁されている扉を開ける。 脱走の常習犯のラクスだが、戦闘中とあって流石に大人しくしていたみたいだ。 「来い!」 フレイは一言そう呟くと、何の説明もせずに乱暴にラクスの腕を掴んだ。 突然、艦橋から消えたフレイ。 次にサイが艦橋でフレイの姿を見かけた時、何故か彼の隣にはラクスが控えていた。 「フ…フレイ?」 フレイはラクスを引き摺ったまま、鬼気迫る表情でこちらに近づいてくる。 「サイ、今すぐ通信を敵の艦に繋げ」 「フレイ、あなた一体何を言ってるの?」 「そして、ラクス・クラインがこの艦にいると伝えろ! 早くしないと母さんが死ぬ!」 サイはようやくフレイのやろうとしている事を諒解した。 フレイはラクスを人質にして戦闘を停止させようとしているのだ。 「艦長!?」 サイは指示を仰ぐようにマリューの名を叫んだが、マリューは顔に軽い驚きを 貼り付けたまま無言だった。 あまりの展開の突飛さとフレイの策の悪辣さに、決断を下していいのか否か、 咄嗟に判断がつかないのだ。 「どけ、僕がやる!」 フレイは軽蔑し切った目でマリューを睨んだ後、サイを押しのけると、 インカムを掴んだ。 だが、マリューの逡巡が取り返しのつかない事態を引き起こす。 既に戦闘力はおろか航宙能力すら失われたモントゴメリにヴェサリウスの 主砲が炸裂し、フレイの見ている前で艦が爆発炎上する。 「か…あ……さ………ん」 フレイはインカムを掴んだままの態勢でガックリと膝を落とす。 「フレイっ!」 サイが泣きそうな目で必死に崩れ落ちるフレイを支える。 ヴェサリウスとジン数機がこちらに近づいてくる。 ナタルはそれを確認すると、焦点の噛合わない虚ろな瞳をした フレイからインカムを奪い取って全域周波数で通信を飛ばし、 フレイの案を引き継いで実行する。 ラクス・クラインを保護しているというナタルの放送に、 敵艦ヴェサリウスに衝撃が走る。 当初の目的であるラクスの所在を確認したクルーゼは、内心で何を思ったかは 分からないが、とりあえずの攻撃中止を命令する。 フレイは自分の母親の生命を救うことは出来なかったが、 彼の案はアークエンジェルのとりあえずの危機を回避する事には成功した。 今の廃人然としたフレイには何の慰めにもならないことだが…。 「卑怯な…」 戦闘を中止したストライクにイージスからの通信が入る。 その声は強い嫌悪と激しい怒りに満ちている。 「救助した民間人を人質に取る。そんな卑怯者と共に戦うのが、お前の正義か!? それが俺を敵にまわしてでも守りたかった、お前の真実なのか、キラ!?」 「ア…アスラン」 キラはアスランの弾劾に、まるで自分が犯した所業のように身を縮こませる。 キラには何も言い返せなかった。 AAの行動は、ある意味アスランが受けた衝撃以上に、キラに強いショックを与えた。 キラの倫理観の指針の針が再び大きく揺れ動く。 「彼女は取り返す、必ずな!」 アスランはそれだけ宣言すると、ヴェサリウスへと帰艦していった。 アスランの姿が消えると同時に、今の人質事件以上の衝撃がキラに襲い掛かる。 守れなかった。約束したのに…。 フレイは元々キラを…というより、コーディネイターそのものを嫌っていた。 そして今、自分の目の前で大切な母親をコーディネイターに殺されてしまった。 艦に戻ったキラをフレイは許してくれるのだろうか。キラには自信がなかった。 キラ(♀)×フレイ(♂)・12−1 「あの子を人質にとって脅して、そうやって逃げるのが地球軍って軍隊なの?」 「そういう情けない事しか出来ねえのは、俺たちが弱いからだ」 キラが珍しく乱暴な言葉遣いでフラガを詰るが、フラガの無情な返答に言葉が詰まる。 「俺にもお前にも、艦長や副長を非難する資格はねえよ…」 フラガは軽くキラの肩を2回ほど叩くと、キラに背を向けドックから出て行った。 何よそれ…。 軍服に着替えたキラの目に涙が溜まっている。悔しさで視界が歪む。 弱いから何なの? 弱いというのはそんなに罪なの。 私はみんなのために、あんなに一生懸命戦っているのに。 死にそうな怖い目に遭っても、誰も助けてくれない癖に。 せめて…せめて、 「それが俺を敵にまわしてでも守りたかった、お前の真実なのか、キラ!?」 私は正しい事をしているんだって、そのぐらい信じさせてよ。 「フレイ、しっかりして、フレイっ!」 突然聞こえてきた「フレイ」という単語に、キラはビクッと身体を振るわせる。 前方を見ると、フレイがトールとカズィに半ば引き摺られるように両肩を借りている。 恐らく医務室へと連れて行く最中なのだろう。 虚ろな瞳でブツブツと何か呟くフレイに、サイが必死に声をかける。 「フ…フレイ」 壊れた人形のようなフレイの姿を目にしたキラの表情が青ざめる。 怒りで熱く煮え滾っていたキラの心が、冷風に晒され、みるみる冷やされていく。 「キラ…」 フレイに付き添っていたミリアリアがキラに気づいた。つられて皆もキラを見る。 辺りに気まずい雰囲気が漂う。 ミリィの「キラ」という単語に反応したのか、フレイがゆっくりと顔を上げる。 「あ……あの、フ……フレイ………」 目と目が合ったキラはガタガタ震えながら、何か言おうとしたが、後が続かない。 そもそも何て言えば良い? お加減大丈夫? お母さんを助けられなくてごめんなさい。 どれも違うような気がする。 「わ…私ね………」 キラの姿を捉えた途端、先程まで焦点(ピント)がずれ、空洞のようだったフレイの 瞳に鈍い光が灯った。壊れて打ち捨てられていたフレイという名の自動人形が、 「憎悪」というエネルギーを注がれ活動を再開する。 「このアマぁ〜!!!!」 「ひぃっ!?」 トールとカズィの二人を振り払ったフレイは、飛び掛るようにキラの襟首を掴むと、 そのまま壁にキラを叩きつけるように押し込んだ。 「大丈夫だって確かに言っただろうが!?この嘘つきが!!」 「フレイやめろ!」「フレイやめてぇ〜!」 フレイは容赦なくキラを締め上げ、涙と呼吸困難でノイズのように乱れ捲くった キラの視界に、負の感情を剥き出しにしたフレイの顔が飛びこんでくる。 母親を失い、行き場を求め暴走していたフレイの憎しみのエネルギーは、その矛先を、 AA内で最も強い力と弱い心を併せ持つ矛盾した存在に、不条理に叩きつけた。 「お前、自分がコーディネイターだから、真面目に戦ってなかったんだろう!?」 「そ…そんな、酷い」 「フレイ、いくら何でもそれは言いすぎよ」 ミリアリア達は四人掛かりで、何とかフレイをキラから引き剥がすのに成功する。 「うっ…うぅ……うわぁあぁあ………ん!!」 「キラ!?」 フレイから解放されたキラは、泣きながらその場を逃げ出した。 後ろで、取り抑えられたフレイが喚いていたが、キラの耳には入らなかった。 キラ(♀)×フレイ(♂)・12−2 「うう…ひぃっく……。うううっ………」 自分の部屋へ逃げ戻ったキラは、鍵をかけると枕にうつ伏せて大声で泣き出した。 涙が滝のように流れ出して、一向に止まらない。 酷い、いくら何でも酷過ぎる。 みんなを守るために、自分の手を同胞の血で汚し、初恋の相手にさえ刃を向けて、 死の恐怖に怯えながら命懸けで戦ってきた、その報いがこれ? 「お前、自分がコーディネイターだから、真面目に戦ってなかったんだろう!?」 何で本来守られるべき女であるはずの自分が、危険な戦場で矢面に立ち、 その上、安全な場所にいる人間から口汚く罵られなければいけないの? ここには誰もいない。私の本当の辛さを理解してくれる人は…、 私の抱えた重荷を一緒に背負ってくれる人は…。 キラにはもう何も信じられなかった。 仲間も…、自分が戦う正義も。 「助けて…、誰か私を助けてよ」 アスラン…。 その時、部屋の扉が開き、まるでキラの悲しみに惹かれたように、 もう一人のコーディネイターの少女が姿を現した。 「ラクス……」 キラは驚いた表情でラクスを見る。 鍵は掛かっていたはずでは…と疑問に思う間もない。 ラクスはキラの泣き濡れた顔を見ても、以前のような慰めの声をかけなかった。 その代わり、ただ歌った。悲しみを癒す歌を。 セイレーンのような透き通った奇麗な歌声が、キラの部屋全体に木霊する。 プラント数百万の市民を魅了してきたラクスの歌声が、ただ一人、キラの 心を癒すためだけに奏でられた。 「ねぇ、ラクス…」 演奏を終了し、長めのスカートの裾を掴んで挨拶するラクスに、キラは複雑な 感情の入り混じった想いをぶつける。 「あなたは、どうしてそんなに優しいの?」 「わたくしはキラ様もお優しい方だと思いますわよ」 ラクスは、キラの質問に敢えて別の見解で答えた。 「そ…そんなことない、私は………」 キラの心に動揺が走る。 最近、ほとんど己の事しか考えていない自分自身に気づかされたからだ。 ラクスはそれを見取ったように、そっとキラを抱き締めると、 「人は弱いものですわ。 誰だって心が悲しみに打ち震えていれば、周りが見えなくなるものです。 でも、その悲しみを知るヒトだからこそ、ヒトは他人に優しくなれるのです」 ラクス……。 キラの心が深い安堵と、幾ばくかの敗北感の入り混じった複雑な想いに満たされた。 このヒトはアスランの婚約者でありながら、彼の旧友である私にも優しくしてくれる。 もし、私が逆の立場だったとしたら、自分の知らないアスランと仲の良かった女性 に対して嫉妬心を隠せなかっただろう。 敵わない。 こんな素敵な女性(ヒト)だから、きっとアスランも彼女を好きになったのね。 気づくと何時の間にかキラの涙は止まっていた。 キラは立ち上がると、ラクスの手を取った。 「キラ様?」 不思議そうな顔をしたラクスにキラは軽く微笑む。 「行きましょう、ラクス…」 「どちらへですか?」 「あなたの本来いるべき場所へ……」 返さないと、この子をアスランに…。 全ての想いを吹っ切り、この少女への借りを返すために…。 |
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