キラ(♀)×フレイ(♂)・プロローグ 「そう、行ってしまうんだね、キラ」 自分を見つめる少年の真っ直ぐ澄んだ瞳。少女は後ろめたそうに顔を背ける。 「ええ、今度ヘリオポリスの方に移ることになったの。ザフトと地球連合との 衝突が本格化してきたけど、あそこは中立だから」 「そう…」 一言呟いたきり言葉を閉ざした。心の中には激しい葛藤と情念が 渦巻いているが、今の彼には目の前の少女に対してかける言葉を持たなかった。 否、言葉をかける資格を持てなかったのだ。少女に自身の想いを打ち明ける ことすら出来ない自分には。 「で…でも、これで後生の別れってわけじゃないのよ。いつか戦争が終われば 戦火に怯えることもなくなるわ。そうすれば、きっと…」 自嘲にも似たやりきれない想いが少年の端整な顔に暗い蔭を落とす。 その表情に耐えかねたように慌てて少年をフォローするが、 少年を覆う影を祓う効果は見られなかった。 「アスラン…」 少女の瞳が潤みはじめる。ひたすら自分一人の思考の淵に挟まっていた 少年は、少女の涙腺の弱さを思い出し、内心の想いを振り払って 笑顔をかえした。 その笑顔につられるように少女も徐々に笑顔を取り戻す。 まだ目元に涙の粒が数滴残ってはいたが、二人を覆う桜の花びらが舞う 春のイメージそのものに少女は笑った。 少年はこの少女の笑顔が好きだった。将来自分が伴侶として 迎えることになるであろうもう一人の少女よりも。 やがて何か思い出したように少年はガソゴソとポケットを漁り始め、 少女からは見えないようにポケットから取り出した何かを掌の中に 抑え込んだ。 「アスラン?」 少女の視線が少年の掌に注がれる。少年は少し悪戯っぽく微笑んだ後、 パッと両手を大きく広げる。その瞬間、何かが矢のように飛び出して 少女に襲い掛かった。 「ひゃっ!?」 少女は軽い悲鳴を上げ、反射的に両腕を十字に掲げて頭部をブロックする。 恐る恐る目を開けると自分の肩に何か緑色の物体が停まっている。 よく観察してみると、それは鳥のようだった。 「アスラン、これは?」 「トリィっていうんだ。僕が作った電子鳥さ。キラにプレゼントしようと思ってね」 トリィは少女に甘えるように彼女の周りをクルクルと飛び回った。 「あははっ…。可愛い〜」 自分に懐くトリィにつられて再び少女は笑った。 「ありがとう、アスラン」 少女の謝辞に満足そうに肯くと、少年はそっと少女に手を差し出した。 少女は一瞬躊躇った後、やや頬を赤く染めながらそっと少年の掌を握り返した。 少女は、その後自身に襲い掛かる過酷な運命を未だ知らない。 キラ(♀)×フレイ(♂)・1 「ねぇ、キラ。どうしたの?さっきからボーっとしちゃってさ」 「ううん、何でもないのよ、ミリィ」 親友の声に思考を大宇宙に彷徨わせていたキラは慌てて意識を地表へと戻す。 ここはヘリオポリス。 「血のヴァレンタイン」以降、武力衝突の耐えない地球連合(ナチュラル) とザフト(コーディネイター)のいずれにも属さない中立国家オーブのコロニー。 それ故、現在この地は両軍の戦火から無縁でいることができた。 だから私はここにいるのよね。 キラは頭を軽く振ってアスランとの邂逅を振り切ると、目の前の現実を直視する。 キラ・ヤマト。16歳。公業カレッジに通う女学生。 目の前にいる男女は同じゼミ仲間のトールとミリアリア。 二人はヘリオポリスでキラと最も仲の良い親友だが、二人が付き合っていることを 知っているキラは、3人で一緒にいると、自分のポジションを少し持て余している ところがあったりする。 もう2,3人ほど一緒に行動してくれる仲間がいれば…、それとも私にもトールの ような特別な相手がいれば、こんなくだらないことを意識しないですむのかしら。 一瞬キラの脳裏に再びアスランの姿が浮かび上がったが、キラはすぐに打ち消した。 もう終わったことなのに。なのに何時までたっても振り切れない。 気づくと、三人を乗せたエレカはモルゲンレーテの工場に着いていた。 道中、終始うつむき加減のキラに、二人は何故か声を掛けなかった。 「フレイ先輩ぃ〜」 エレカから降りた三人の聴覚に、黄色い声が綿毛のような軽さで漂ってくる。 前方に小さな人だかりがあり、中央では赤毛の少年が静かな自信を称えた 笑顔で、まとわりつく後輩の少女達を軽くいなしていた。 「相変わらず持てるな、フレイの奴。少しはあやかりたいもんだぜ」 トールが僅かにやっかみをこめて口笛を吹くと、ミリアリアは面白くなさそうな 表情で軽くトールを睨んだ。 「俺にはミリィちゃんがいてくれれば十分だからね」 「何言ってるのよ、バーカ」 ミリィの視線に気づいたトールが軽くミリアリアの肩を掴むと、 彼女は呆れたようにそっぽを向いたが、満更でもなさそうに俯いた。 「でも女の子って、何でフレイみたいな典型的な王子様に憧れるのかしらね、キラ」 ミリアリアは軽い照れ隠しからキラに話題を振ろうとしたが、途中で言葉を飲み込んだ。 キラ自身が軽く頬を染めながらポーとした表情でフレイを見つめていたからだ。 フレイ・アルスター。キラ達より一つ年上の17歳。 地球連合外務次官ジョアン・アルスター女史の一人息子で、名門アルスター家の次期当主。 そのルックスと相まって異性間の人気は高い。 学年も専攻学科も異なるので面と向かって話したことはなかったが、この赤毛の 少年にキラは密かな憧れを抱いていた。 「なるほど、キラお嬢様はフレイみたいなお坊ちゃんタイプが好みと」 トールの言葉にキラはハッと我に帰ると、別の意味で顔を真っ赤に染める。 「ち…違うわよ、私は別に……」 「照れない、照れない」 ミリアリアがバシバシと強くキラの背中を叩いたので、キラは少し咽込んだ。 そのキラの狂態を、ミリアリアは可笑しそうに覗きこんでいたが、僅かに表情を 引き締めると 「でも、キラ。悪いこと言わないからフレイは止めておいた方がいいわよ。 あの歳で婚約者がいるという噂もあるしね」 「だからさっきからそんなんじゃないって言っているでしょ」 キラは敢えて怒った表情をして、早足で駆け出して二人を置き去りにすると、 二人は慌ててキラの後を追った。 そっか…。もうお相手がいるんだ。 キラの脳裏に三度アスランの笑顔が思い浮かんだ。 キラ(♀)×フレイ(♂)・2 なんで私はこんなところにいるのかしら。 場所はストライクと呼ばれるモビルスーツのコックピット。 ヘリオポリスは中立で戦火とは無縁のはずではなかったの。 現に今朝まではこのコロニーは平穏そのもので、キラはゼミの仲間と いつもと変わらない平和な日常を過ごしていたのだ。 キラの脳裏に今日一日の出来事がまるで走馬灯のように浮かび上がってくる。 警告もなしに侵攻してきたザフトのモビルスーツ。 ジンにより破壊され火の海になった街を必死に逃げ惑う人々の群れ。 シェルターを求めて逃げ回っている時に出会った、自分とよく似た面影を持つ謎の少年。 どこのシェルターでも定員オーバーで門前払いされ、 気づくとキラはマリューという若い女性仕官と狭いコックピットの中に呉越同舟し、 この鉄の塊を動かそうと四苦八苦している。 まるで悪い夢のよう。 夢なら醒めて欲しいと思う。 けど、何度頬をつねってもこの現実は何も変わらない。 戦場という地獄を知らぬキラの心はすでに麻痺寸前まで追い込まれていた。 さらに極めつけの悪夢はコックピットの前で出会った…… 「来るわよ」 マリューの緊迫した声が狭いコックピットの中に響く。 過酷な現実はキラに何時までも回想する自由を与えなかった。 「ひっ…ひぃ」 前方のメインスクリーン一杯に迫り来るジンの迫力に、キラは涙目になり、 必死でマリューの腰にしがみ付いた。 続けて機体全体に衝撃が走る。 マリューが咄嗟にフェイズシフトのスイッチを入れたので、機体に損傷 はなかったが、それでも衝撃を完全に押し殺すことは出来ない。 ジンの絶え間ない攻撃に揺れ続ける機体。 一緒にいる女性士官にはこのMSを上手く操作できないらしく防戦一方だ。 もう嫌、もう嫌ぁ。 キラは嗚咽を漏らす。 このまま自分はここで死ぬのだろうか。 誰に見取られることもなく、何故自分が死なねばならないのか その理由すらも分からないままに。 だが、サブスクリーンに映った人影が、そんなキラの諦観した雰囲気を 一瞬で吹き飛ばした。 ミリィ、トール、カズィ、サイ!? キラのゼミ仲間が焦土と化した街中を必死に逃げ回っている。 「お…お願い、私の仲間が地上にいるんです。助けて」 「わ…分かっているわよ」 キラの哀願に、必死にストライクを操作しようとするマリューだが、 現状は一向に捗らない。 このままじゃ…皆が死んじゃう。 その瞬間キラのスイッチが切り替わった。 「どいて!」 キラは自分でも予想しなかった乱暴な声と態度でマリューを押しのけると コックピットのシートに陣取って、キーボートを叩き始める。 「無茶だわ、こんな粗末なOSで、これだけの機体を動かそうなんて」 「ま…まだ全部終わってないのよ、仕方ないでしょう」 キラはマリューの声を無視して、凄まじい勢いで端末を操作しはじめた。 どうやらOSを書き変えているみたいだ。 な…なんなの、この娘!? 突然の修羅場に放り込まれた民間人よろしく、つい先ほどまで年相応の少女らしく 泣き叫んでいたキラの変貌にマリューは呆然とする。 OSを完全に書き換えたキラはストライクを再起動した。 先ほどまで木偶同然でサンドバッグ一方だったストライクが、桁違いのパワーと 機動力で反撃し、その落差に対応できなかったジンは一瞬で破壊され炎上する。 ヒトを殺して…しまった。 無我夢中でストライクを動かしていたキラの中から力がスッーと抜け落ちていく。 あのジンにもパイロットは乗っていたのだろう。 彼にも家族や恋人はいるのだろうか。 友達を守るために私はヒトを殺してしまったんだ。 攻めてきたのは向こうの方なのだ。 そうしなければ自分も友人も殺されていた。 だが、それをすんなり割り切れるほどキラはまだ大人ではなかった。 泣き虫の自分なのに不思議と涙は出なかった。 ただ、自分がもう引き返せないところまできていることをキラは実感していた。 キラ(♀)×フレイ(♂)・3 巨大戦艦アークエンジェルの船上でキラ達はようやく一息つくことが出来た。 ジンを撃退して地表に降り、ミリィ達との再会を喜んだのも束の間、 キラ達はマリューに銃を突きつけられ、民間人機密保護なんたらという 長い罪状を読み上げられ拘束されてしまう。 無我夢中でストライクを動かしジンを撃破したキラだが、一旦熱が醒めると 銃の持つ本能的な恐怖に身体がすくんで反抗する気力が起きず、 アークエンジェルへのストライクの運搬作業を手伝わされていた。 これからどうなってしまうのだろう。 先ほどからマリューと、別のリーダ格の男女の軍人が何か話している。 自分達のこれからの処遇について話し合っているのだろうか。 トール達も不安そうにお互いを見回している。 キラがストライクから降りてきた時、皆不思議そうな顔をしていたが、 今はその疑問も一時棚上げになっているみたいだ。 その時、パイロットスーツ姿の長身の男性がこちらに近づいてきた。 「俺は地球軍第七機動艦隊所属、ムウ・ラ・フラガ大尉だ。君があの ストライクを動かしてジンを撃退したんだって?」 「は…はい」 言いづらそうにキラは応える。正直、友人達の前であまりあげて欲しい 話題ではなかった。 「ふーん」 フラガは端整な顔立ちの中に人好きのする笑顔を浮かべたが、その瞳の奥に 強い好奇心を感じたキラは警戒して軽く身を固める。 「な…なんでしょう?」 「君、コーディネイターだろ?」 「!!」 そのフラガの問いにますますキラは身を固めてしまう。 周囲がざわめきはじめる。銃をこちらに向ける兵士さえいる。 ミリィやトール達でさえ戸惑った表情を浮かべている。 深い孤独と絶望感にキラの視界が暗転しかけたその時、 「銃を降ろしなさい」 マリューがキラをかばうように銃を向ける兵士達の前に立ち塞がった。 「ラミアス大尉、これは…」 別の女性仕官が戸惑いの声を上げる。 確か先ほどナタル・バジルール少尉と紹介された気がする。 「別にそれほど不思議なことでもないでしょう。ここはオーブの中立コロニー なのだから、戦乱を避けて移り住んだコーディネイターがいても不自然では ないわ、そうでしょ、キラさん?」 「は…はい、私は一世代目のコーディネイターですから」 マリューの問いにキラはホッと安堵しながら応えた。 「つまり、両親はナチュラルということか」 フラガは軽く頭を掻きながら、謝辞を口にする。 「いや、すまなかったな。こんな騒ぎを起こすつもりは無かったんだが。 俺はこの機体のパイロットになるヒヨコ達の面倒を見てきたんだが、あいつら ただ歩かすだけでも一苦労していたのに、それをこんな可憐なお嬢ちゃんがね」 可憐という言葉にキラは頬を軽く染める。 その様子を見たマリューは悪戯っ子のように瞳を輝かせると 「気をつけなさいよ、キラさん。エンデュミオンの鷹は撃墜王としてザフト軍に 恐れられているけど、女性に手が早いことでも有名なのよ」 「おいおい、やめてくれよ。18歳以下は俺の守備範囲外だって」 マリューとフラガの掛け合いに、場を包んでいた緊張感が次第に解されてきて、 和気藹々とした雰囲気に包まれてきた。こちらに銃を向けていた兵士も 何時の間にか全員銃を降ろしてる。 ただ一人堅物らしいナタル中尉はこの雰囲気についていけなかったようだが。 悪いヒトじゃないんだ。 つい先程まではマリューの軍人らしい高圧的な態度に反発を感じていたが、 今のキラを庇ってくれた態度や、怪我の手当てをしていた時に水を運んできた サイに礼を言うマリューの姿を思い浮かべながらキラはそう考えた。 キラ(♀)×フレイ(♂)・4 なんでこんなことになってしまったのだろう。 ストライクのコックピットの中。大気圏上空から崩壊するヘリオポリス の惨状を眺めながら、キラはこみ上げてくる涙を必死に抑え込んだ。 AAとストライクの撃破を狙って再び侵攻してきたザフト軍に対抗する ため、キラは再度のストライク機乗を要請された。 キラがOSを書き換えたストライクはキラ以外には扱えないからだ。 本音を言えばキラはもう戦場になんか出たくなかった。 死の恐怖に怯えるのも、またヒトを殺すのもどちらもイヤ。 あの平和だった日常に帰りたい。 「今、この船を守れるのは君だけだ」 多少の罪悪感の篭ったフラガの言葉が事態を決した。 君が乗らなければここにいる友達は皆死ぬ。暗にそう指摘しているのだ。 キラは冷たいコクピットの中に押し込められ、AAと共に迫り来るザフトの MS相手に砲火を打ちまくっている。 今日一日で一体何人の命をこの手で奪い尽くしたのだろう。 対空砲火が命中し爆炎の花が一つ咲くごとにまた一つ同胞の命が失われていく。 常軌を逸した戦闘にキラの感覚は次第に麻痺していき、引き金を引く指の動きも 機械的になり、戦闘中キラを苦しめていた背徳感さえ徐々に薄れつつあった。 だが、空中で交戦中の敵に強奪されたイージスガンダムの無線から聞こえてきた 懐かしい声色が、そんな凍りついたキラの感覚を再び呼び覚ました。 「キラ…、乗っているのはキラなのか?」 「えっ!?」 この声には聞き覚えがある。やっぱりあの時工場で見た光景は夢ではなかったのだ。 「アスラン…まさか…」 「キラ…キラ・ヤマト。やはりキラ…キラなのか!?」 「アスラン…アスラン・ザラ」 何でアスランがこんなところにいるのだろう。 それじゃアスランはコロニーを滅茶苦茶にして大勢の人間を殺したザフト軍の一員なの。 私の知っているアスランはそんなヒトじゃなかった。 誰よりも優しくて、他人と争うことが嫌いで。 とても人殺しなんて出来るヒトじゃなかった。 人殺し…。 けど、それなら私は一体何なの。 昨日までの私には自分がヒトを殺せるなんて想像も出来なかった。 けど、今の私は…。 困惑し錯乱するキラの思考。イージスガンダムから放たれたアスランの通信が ある意味キラを救った。 「何で君がそんな物に乗っているんだ」 「アスラン…わ…私は…」 相対する二人は一時的に砲火が沈黙していたが、周りの戦闘は次第に激しさを増し、 その負荷に耐えかねたコロニーは遂に崩壊の一途を辿る。 崩壊したヘリオポリスの大地から吹き荒れる暴風により、二人の乗るガンダムは 分かたれた。果たしてこの乖離はどちらの存在を救ったのだろうか。 「コロニーが…」 AAと共に宇宙空間に脱出したキラの眼前で、昨日までの平和の象徴だった ヘリオポリスは完全に崩壊し原型すら留めずに四散していく。 その瞬間、シェルターから脱出用の救命ボートが次々に宇宙空間へと放り出されていく。 放心するキラの目の前に救命ボートの一つが浮かんでいる。 何かに救いを求めるようにキラはボートへと手を伸ばす。 その中に、キラの今後の運命を大きく左右する人物が乗っていることを キラは知らなかった。 キラ(♀)×フレイ(♂)・5 救命ボートの受け入れに関してマリューとナタルの間で一悶着あったが、 キラはボートを抱えたままAAに帰還することを許可された。 何となく様子が気になって、ボートを収用したドックに顔を出した キラは思いがけない人物に再会した。 あ…あのヒトは!? キラがそう思う間もなく、先方の方からキラを発見してくれた。 「君は?」 低重力空間の中を飛び跳ねるようにキラの前に現れた赤毛の少年は、 極自然な動作でキラの手を取った。 えっ!?えっ!? 「確かサイの友達の女の子だったよね。君もこの船に乗っていたんだ」 フレイは透明感溢れる笑顔で微笑み、キラは頬を真っ赤に染めたまま コクコクと機械的に肯いた。 キラの手は未だフレイに握られたまま。動悸が早くなっていく。 「キラ・ヤマトといいます」 「僕はフレイ・アルスター。よろしくね、キラ。 ところでこの船は何だか知っているかい?」 「アークエンジェルという宇宙戦艦です」 「宇宙戦艦?」 フレイはようやくキラから手を離すと、軽く肩を竦める動作をしながら 「それじゃ、まだ助かったとは言えないわけか」 そのフレイの一言にキラの血管を流れる血の温度が微妙に下がったが、 フレイはキラの様子に全く頓着せず、「母さんに早く会いたいな」と呟いた。 キラに連れられて避難民居住区に顔を出したフレイは、サイの姿を発見するや否や 「サイ、良かった。君も生きていたんだね」 満面の笑みを浮かべながら、公衆の面前で堂々とサイを抱き締めた。 「ちょ…ちょと、フレイ。何もこんなところで…」 サイは恥ずかしさから頬を赤らめて抵抗したが、表情は嬉しそうだった。 二人の抱き合う姿を見せつけられたキラは、人知れず心の奥で溜息を吐いた。 馬鹿馬鹿しい。さっきフレイに手を握られた時、一体自分は何を期待していたのだろう。 その時、扉の前にフラガが現れて、キラにストライクの整備をするように促した。 二人の姿にいたたまれなくなったキラは、渡りに船とばかりにフラガに続いて 居住区から姿を消していった。 「整備?あの娘が?」 「実はキラはストライクのパイロットなのよ。 あのMSに乗って戦ってくれて、ここまで私達を助けてくれたの」 訝しげなフレイにサイはそう説明したが、フレイの疑惑は広がっていく一方だ。 「コーディネイターなのよ、キラは」 そのことを察したサイは最後に一言付け加える。 それを聞いたフレイの黒い瞳に一瞬嫌悪感が浮かび上がった。 アークエンジェルから百光秒ほど離れた宇宙空間に、ザフト軍のナスカ級高速戦闘艦 ヴェサリウスが浮かんでいる。 その中でアスランが上官であるクルーゼを相手に舌戦を交わしていた。 「ですから、ストライクに乗っているのは私の月の幼年学校時代の知り合いなのです」 「それは因果な巡り合わせだな。心中は察するよ、アスラン。 だが誰であれ敵である以上は撃たねばならぬ」 温和な口調だが、仮面の男ラウ・ル・クルーゼの言うことには容赦がない。 「あいつはナチュラルの連中に騙され利用されているんです。 優秀だけどいつもボーっとしていてお人よしで泣き虫で…」 思わず熱くなり、必要以上にキラの個人情報を漏洩するアスランに、 流石のクルーゼも苦笑する。 「で、そのキラ君は君の大切な女性(ヒト)だったわけか、アスラン?」 クルーゼの問いにアスランの表情が目まぐるしく入れ替わる。 心の奥底に激しい感情の嵐が渦巻いていたが、最終的には理性で抑制する ことに成功した。 「キラは私の大切な友人です」 恋人と言うことが出来たらどれほど良かっただろう。 だが自分には物心付く前から定められた相手がいた。 故にキラに自分の気持ちを打ち明けることは出来なかったのだ。 「だろうな。あまりラクス嬢を悲しませてはいけないよ」 クルーゼの一言がアスランの胸に突き刺さった。 決してラクスが嫌いなわけじゃない。 もし月の幼年学校でキラと出会わなければ、自分はザラ家の次期当主として、 プラント連合最高評議会議長クライン家の令嬢であるラクスとの政略結婚を 何の抵抗も無く受け入れられただろう。 次の襲撃からアスランを外すというクルーゼの戦案にアスランは必死で抵抗した。 「私に機会を与えてください。必ずキラをストライクごと我が軍に迎えてみせます」 ストライクとそれを操る桁外れの才能を持つコーディネイターの少女にクルーゼ も興味を惹かれたが、一級の指揮官らしく慎重に質問する。 「それでも、そのキラ君が君の説得に耳を貸さなかった時はどうするのだ、アスラン?」 「その時には……」 アスランは一瞬顔を顰めた後、迷いのない口調で宣言する。 「私がストライクを撃ちます」 キラ(♀)×フレイ(♂)・6−1 ヴェサリウスと奪われたガンダム四機の同時攻撃をかろうじて振り切った アークエンジェルは、友軍の軍事要塞アルテミスに緊急信号を送り、 入港と補給を受ける許可を求めた。 「やれやれ、今度ばかりは俺も駄目かと思ったぜ」 ストライクの格納ドックで、整備主任であるマードックがストライクの 修理箇所を点検しながら、キラの生還とAAの不沈を祝った。 その想いはキラも全く同じだ。 アルテミスへの航路変更を予期され、奪われた四機のガンダム(デュエル、 バスター、ブリッツ、イージス)全てを投入された地点で、キラ達は戦略的に 完全に敗北していた。 量産型のジンとは違って、個性差はあっても性能に大きな違いは無い最新鋭のMS同士。 パイロットは何の戦闘訓練も受けていないキラと違い、恐らくはアスランも 含め軍事の英才教育を受けてきたであろうエリート集団クルーゼ隊。 それが4対1で戦うのである。 最初から勝負になるはずがない。 事実、フラガが乗るMA(メビウス)によるヴェサリウスへの奇襲が成功しなければ、 ストライクとAAは敗死を免れなかっただろう。 マードックがストライクのコックピットに鎮座したキラに何か色々と言って いたみたいだが、キラの耳には入らなかった。 アスラン…。 今回の戦闘で、キラがかつてほのかな想いを抱いていた大切な相手と 完全に決裂してしまった。 「やめろ、キラ。僕たちは敵じゃない。そうだろ?」 「アスラン…」 「同じコーディネイターの君が、何故地球軍にいる? 何故ナチュラルどもの味方をするんだ!?」 「私は地球軍じゃない!」 キラが悲痛に叫ぶ。 「でも、あの艦には仲間が、大切な友達が乗っているの!」 「キラ…」 そのキラの答えは、少なからずアスランの心にショックを与えた。 大切な友達?それは自分を敵にまわしてでも守らねばならないものなのか。 キラにとって自分のプライオリティはそれほど低いものだったのか。 「あなたこそどうしてザフトなんかに? 戦争なんか嫌だって、あなたも言っていたじゃないの!」 そのキラの問いにアスランが応えるよりも早く、イザークの乗るデュエル とニコルの乗るブリッツが乱入してきた。 ディアッカの乗るバスターは遠距離砲でAAと砲火を打ち合っている。 たちまち乱戦となり、劣勢のキラは次第に追い込まれていく。 この時にはフラガの奇襲が成功して戦局は大きく変化し、ヴェサリウスから 四機のガンダムに撤退命令が出ていたが、戦果に逸るイザークがそれを無視 して執拗にストライクに襲い掛かった。 激しい戦闘の連続で、エネルギー残量がほとんど底をつき、とうとうストライク のフェイズシフト装甲がダウンし、キラの機体は無防備に晒された。 それをチャンスと見たイザークが、ビームサーベルを振り上げ再びキラに襲い掛かる。 やられる! 一瞬死を覚悟したキラだが衝撃は来なかった。 目を開けると、アスランがイージスをMA形態に変形させストライクを拘束していた。 「ア…アスラン!?」 「ストライクはこのまま捕獲する」 アスランは厳かにそう宣言すると、凄い力でストライクを引っ張り始めた。 「は…離して、アスラン」 キラは必死に抵抗するが、ストライクにイージスを振り切るだけの燃料は 残されていない。 「キラ、一緒に来るんだ」 「イヤっ!」 一緒に行く…アスランと。 最初からそんな選択が可能ならどれほど楽だったことか。 キラはAAでのトール達との遣り取りを思い出す。 再びストライクへの機乗要請を受け悩んでいたキラは、艦橋へと続く廊下で トール達に出会って驚いた。 皆が全員地球軍の軍服を着用していたからだ。 「トール…、みんな。どうしたの、その格好?」 「ブリッジに入るなら軍服を着ろってさ」 「私たちも艦の仕事を手伝うことにしたの。人手不足でしょ。普通のヒトよりは 機械やコンピューターの扱いにも慣れてるし」 サイの説明にキラは呆然とする。 「お前にばかり戦わせて、守ってもらってばっかじゃな。俺たちもやるよ」 「こういう状況だもの、キラのようにMSで戦うことは出来なくても、 私たちも私たちに出来る範囲のことを精一杯するわ」 「……みんな……」 皆の暖かい想いにキラの目頭が熱くなる。 「ところでさ、キラ…」 トールがキラの格好を指差したまま言いにくそうに指摘する。 「そろそろキラも軍服に着替えたほうがいいんじゃないか? そのピンクフリルのスカートで女の子がコックピットに跨るのって 絵的にちょっとまずいんでないの? 俺としては一度見てみたい気もするけどさ」 キラはまるでトールにその場面を覗き見られたかのように赤面した。 キラ(♀)×フレイ(♂)・6−2 あの艦には、私をコーディネイターだという偏見で見ずに、 私を励ましてくれた大切な友達が乗っているのよ。 彼らを見捨てて私だけが投降するなんて真似出来るわけがない。 そう思ってキラはイージスを振り解こうと必死にもがいたが、次に アスランから放たれた通信がキラの抵抗する力を奪った。 「血のヴァレンタインで母が死んだ」 息を飲むキラに、アスランは自分がザフトに入った経緯について 得々と語り始める。 「だから僕は、核で母を…罪無き命を多く奪ったナチュラル達の 蛮行を絶対に許せない」 アスラン…。 正義感や確固たる信念に支えられて戦っていたわけじゃないキラの 倫理観の指針は、アスランの問い掛けに大きく揺れ動く。 一体正しいのはどちらなのだろうか? そもそも何故、自分がアスランと戦い殺し合わねばならないのか。 戦う理由を突き詰めれば、キラはどうしてもそういった原始的な疑問に ぶち当たってしまう。 ストライクから抵抗する意志が弱まっていくのを感じ取ったアスランは、 内心で密かに安堵の溜息を漏らす。 先ほどからイザークが通信でしきりに何か喚いているみたいだが、アスランは無視した。 これで良い。 ザフトに少なからぬ損害を与え続けたキラの受け入れに関して、イザーク やクルーゼ隊長との間で一悶着あるだろうが、必ず自分がキラを守ってみせる。 そして今度こそキラに…。 キラへの想いに捕らわれ気を緩ませたアスランは決定的な隙を生んだ。 この戦場にはストライク以外の敵がもう一体いることを忘れていたのだ。 「諦めるなよ、お嬢ちゃん」 ヴェサリウスへの奇襲を果たして帰艦する途中だったフラガの乗るメビウスが、 イージスに拘束されたストライクに気づいて突っ込んできたのだ。 フラガは精密射撃でイージスのストライクへのジョイント部分だけを狙って 集中砲火を放った。 「くっ…」 フェイズシフト装甲のためにイージスに損傷はなかったが、衝撃でイージスの 機体が大きく揺れ、僅かにストライクへの拘束が緩んだ。 キラはその隙を逃さず、残存するエネルギーの全てを出し尽くしてイージスの 束縛を振り解き、イージスから脱出する。 「貴様ぁ〜!!」 アスランは自分からキラを切り離したフラガの乗るMAに殺気立った目を向けて 砲火を集中させたが、フラガは巧みに砲撃をかわすとストライクを援護しながら AAへと帰還していく。 AAに着陸して、エネルギーとランチャーの補給を受けたストライクが 猛反撃に出る。 イザークのデュエルが小破し、バスターもブリッツもAAからの砲撃を受け、 無視しえぬダメージを負った。 再度突入しようとするアスランを必死に押し留めるニコル。 ヴェサリウスから再び通信が入り、これ以上の命令違反には軍法会議も 辞さないとの報告をディアッカから受けたアスランは歯軋りしながらも 撤退していった。 アスラン…。 AAの船上でランチャーを携えたストライクに乗るキラは、帰還し小さな 光点となって消えていくアスランのイージスの姿を呆然と見つめている。 道は完全に岐たれた。 次に出会う時は恐らくどちらかが死ぬ時だろう。 必死に涙を堪えるキラの視界に、銀色に輝くアルテミス要塞が近づいてきた。 |
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