遺された者達へ…



フレイは結局、人と人の間と、自分自身の悪意に翻弄され、利用されるだけの存在だった。
生きて戦後を迎えることが出来たのは奇跡に近い。
もっとも、生き延びた事が善いことであると、言い切れるかどうかは、分からない。
背負うには重すぎるものを背負ってしまった人の余生−年齢に関わりなく−は、辛く厳しいものになるだろう。
しかし、それでも生きていかねばならないのも人である。
オーブ領の小さな島。人口は数百人、あまりにも小さい島だった為、戦火に遭うことも無かったこの島に、戦後まもなく一組の男女が住み着いた。
いわゆる戦争難民。住処を失った人は多かったが、こんな島に流れ着く者は珍しかった。
男はどこからどう見ても異様だった。歩様は一定せず、目が見えているかどうかも怪しかった。やせ細った体。病気か、何かの後遺症か。
島の住民は、あの男は戦場で核の光と放射能を浴びたのさ、と噂した。
一方、女の方は、男につきっきりで暮らしている。
島の住民は、遠巻きにするようにしていたが、追い出すわけでもない。
それは、互いに生きていくために身につけた優しさなのだろう。
そして、一年。
もう立って歩くこともできなくなった男は、車椅子を女に押してもらっている。
しかし、それは必ずしも悲惨な光景ではない。
穏やかな陽が、さしていた。
この時間が、いつまで続くのかは分からないが、男の命が尽きるのは、そう遠くはない。
そしてまた、女は一人に戻るのだろう。
その時、女がどうするのか、どうなるのかは、自身にも分からない。
しかし、それで構わなかった。
結局、皆が不幸だった。そして、罪は、誰も償えるものではない。
だから、せめて一人くらいは、静かに、安らかにその生涯を閉じてほしいのだ。
利用された恨みが無いと言えば、嘘になる。
しかし、それももう終わったことだ。
思えば、一番不幸だったのは女ではなく、男の方だったのかも知れない。
男は目を閉じて、物思いに耽っているようだった。
その胸に何が去来しているのか、奥底を明かすことは無いだろう。
それでも、それを受け入れてあげようと女は思う。
空を仰いだ。どこまでも蒼い空の更に上、嘗て様々な人の命と想いが吸い込まれた場所がある。
もう、戻ることは無い場所だ。
時折、あれは夢だったのではないかと、思うことがある。
あれが夢なら…しかし、それももう過ぎたことだ。
僅かに男が身じろぎして、何か言ったようだった。
その手が、何かを探すように宙を掴んだ。
女は、その手をそっと握り返して、二人は元来た道を戻っていった。



戦後、地球圏の人の動きは激しく、戸籍データなどは戦火で散逸していたので、人の出入りを管理する事は不可能に近い。
だから、二人は紛れ込む事ができたのだろう。
脱走軍人、難民、中には再びの戦火を期待する者。
様々な人がいても、そこで生きているという事実だけは変わらない。
しかし、この小さな島はそんな事とは関係なく、静かに時間が流れているように思えた。
「星が綺麗…」
家々の灯りも少ない夜空は荘厳だ。
「ねぇ、見えて?…綺麗な夜空…」
男−かつてはラウ・ル・クルーゼの名を持っていた−の反応は無い。
ただ黙って星空を見上げている。その瞳に星の光が反射して、星座を形作っているように見えた。
女−フレイ・アルスターの名は、捨てた−は、その隣で同じように見上げている。
二人が今、同じ思いを抱いているのかどうか、確かめる術は無い。
男は、もう口を開く事も滅多に無かった。
それだけの体力も、失いつつある。
薬で人並−コーディネーターなのだが−の体を保つ事を拒絶して、一年が過ぎている。
本来なら、地獄の苦しみにのた打ち回って徐々に肉体が朽ち果てていくはずだった。
むしろ、ここまで命を永らえているのが異常と言えるのだ。
せめて、苦しまずに…女は、鎮痛剤を打ちながら、果たしてこれが正しい事なのだろうかと、疑問に思う事がある。
それを尋ねても、男は何も答えなかった。
ただ、決して女に苦痛の顔を見せたり、非難めいた目をすることは無かった。
だから、側にいられるし、いてやらねばならないという気持ちに駆られるのだ。
「少し、肌寒くなってきたわ。もう中に入りましょう」
その言葉を押し止めるように、男は微かに手を上げた。目は、空を見据えている。
もう少し、このままにしてあげようと、女は思った。
「待って、今、何か羽織るものを持ってくるから…」
家の方に戻りながら、女はふと、およそ一年前のあの日を思い出していた。



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