泣いてほしいわけじゃなかったんだ



キラが死んだって誰かが言ってた。誰だったっけ。
キラは死んだんだよ。爆発して、粉々になって、ぐちゃぐちゃに溶けちゃって、
もういない。
どこにもいない。
死んじゃった人は帰ってこないんだって。
だからキラも帰ってこないんだって。
もう二度と、私に抱きついて泣いたり、私に優しくしてくれたり、
私とキスしたり、私と一緒に寝ることもないんだって。

そんなことあるわけないのにね。キラが約束を破ることなんかあるわけないのにね。
AAの人間はみんな馬鹿なんだ。何もわかってないのよ。
だって、まだキラはコーディネーターを殺しつくせてない。全然、足りない。
キラは約束してくれた。私を守るって。
キラは戦って、コーディをいっぱい殺すまでは死なないの。
だからキラは帰ってくるの。私のところへ、ただいまって、そしてメットをとって笑って、続きは?って訊くの。
そしたら私も、今度はキラにうんと優しくしてあげるのよ。
もう泣いたりしないでいいよって言って、抱きしめてあげるの。
きっとキラも喜んでくれるよね。


ねえ、キラ。
はやく会いたいよ。




パパが私に会いに来てくれた!
パパは死んじゃったけど、帰ってきたのよ。
死んじゃった人が二度と帰ってこないなんてこと、やっぱり嘘だった。
だからキラも、もうすぐ戻ってくるわ。
パパの声がする。
大好きなパパ。
パパの声が、優しく私の名前を呼んでくれる。
フレイ、心配しなくていいよ、私が守るから、って。
私には、私を守ってくれる人が二人もいる。
なのに、私はなぜ気絶してしまったんだろう?
パパの声が聞こえたあと、なんで気を失ってしまったんだろう。


キラ、キラ、私を守るって言ったのに。
私はあなたを守るって言ったのに。ごめんね。




頭が痛い。おなかも。
わからなかったとはいえパパに銃を向けたりなんかしたから、ばちがあたったのかもしれない。
パパ、どこ?
私、急いで起きるから。
せっかくきてくれたのに、私ったらこんな状態で。
もういなくなったりしないでね。
私の目の前から、どこか遠くへなんて行ったりしないでね。

サイのこと説明しなくちゃ。
とても大切にしてくれたのに、私、彼と結婚はできないの。
わかって、パパ。
わかってくれる?
私、生まれて初めて、自分が本当に欲しいものを見つけたのよ。
パパがくれるものだけじゃなくて、自分で見つけたの。
キラが戻ったら、キラのこと、ちゃんと紹介するね。
パパ、お願いだから彼のこと殴ったりしないでね。
パパはコーディネーターが嫌いだから怒ると思うけど、ううん、私だってまだコーディネーターを憎んでるけど。
キラはね、特別なの。
なんていったら、パパ、もっと怒るかな。

キラ、私がキラのこと好きってパパに言うから。
キラ、あなたのことが好きってあなたにちゃんと言うから。
……聞いて、くれるよね?




パパじゃない。
パパじゃなかった。
声はすごく良く似てて、目をつぶればパパがそこにいるみたいだった。
でも、この人はパパじゃないんだ。
怖いよ、キラ。
目が覚めたら知らないコーディネイターがいっぱいいて。
怖いよ。
パパはやっぱり来てくれないの?
じゃあキラももう来てくれないの?
どうしようどうしよう、すごく怖い。
守ってくれる人が誰もいない。
ひとりぼっちなんてそんなの、
死んじゃって吹っ飛んでからだの欠片もないなんてそんなの。
パパじゃない人の口からパパの声が言う。

「フレイ、心配しなくていい」

クルーゼが私の肩を抱く。
私は目を閉じてその声を聞いた。

キラ、私どうしたらいい?




コーディネーターがみんな私を見てる。
あんまり人のいるところに行きたくないよ。
でもクルーゼの声を聞いていないと不安になっちゃって、どうしようもなくて、
何かにすがりたくてでも何もない。
パパの声の、亡霊だけ。
顔に傷のあるコーディがいつも私に怒鳴る。
いやだ。私がナチュラルだからなのかな。
私がコーディが嫌いなように、あいつらもナチュラルが嫌いなんだ。
私のこと嫌いだって、気に食わないって視線が言ってる。
なにやってるのかわからない。
いっつもおどおどして、クルーゼのそばにいるだけ。
ママが死んで、パパも死んだし、友達も死んだ。
やっぱりキラも死んじゃったの。もう会えない。
みんなみんな死んじゃったのに、
私だけ生きてる。
私にはもう誰もいない。
ひとりぼっちで生きてる。
キラは会いにこれない。私はこんなところにいる。
キラが会いにこれないなら、私が会いにいけばいいのかもしれない。

待っててね、キラ。




もうすぐあえる。
きっとあえるわ。
その方法を見つけなくちゃ。
このごろそればっかり考えてる。
ぼうっとしてるって、コーディに怒られる。
あの傷のあるコーディは、私がぼうっとしてるとイライラするらしい。
よくわからないけど。
どうすればいいのかな、ねえ、キラ。
あなたが死ぬとき怖かった? やっぱり痛かった?
あのね、寝るときいつもキラの顔が浮かぶの。
夢の中で、キラ、いっつも笑ってるのよ。
変なの。
笑ってるキラより、泣いてるキラのほうが私はいっぱい見てきたのにね。
でも夢ではキラは私から離れたとこにいて、こっちを向いて笑ってるの。
そのあと私は融けちゃって、何も見えないし声も出せなくなって目が覚める。
目が覚めた後も真っ暗で見えなくて喉もふさがってるのに、涙だけは出てるの。
馬鹿みたい。
優しかったキラ。
キラはいつだって優しかったのに、どうして肝心なときに優しくしてくれなかったの?
死んじゃうなんて、ひどい。
でもそれも私のせいよね。
私があなたを死なせたようなものだから。

キラ、私のこと憎んでいいから。
泣かないで。




銃にしようって決めた。
でも回りに気づかれないように撃つのはけっこう難しい。
チャンスをうかがってるけど、もうちょっとかかりそう。
ごめんねキラ、なるべくはやくするから。心配いらないわ。
コーディたちはまだ怖いけど、もうすぐお別れできるからあんまり気にならなくなった。
でもそれがまた、あいつらの神経を逆なでするみたい。どうでもいいけど。
毎日がのろのろ過ぎるのに、寝るとすぐ次の日になっちゃうのはなんでかな?
夢の中で会えるだけでも嬉しい。
もうすぐほんとに会えると思うともっと嬉しい。
なのに起きたときかならずほほが濡れてて、
叫びだしたくてたまらなくなる。どうしてだかわかんない。
キラ、キラ、苦しいよ。
急がなきゃ。
気持ちばっかり空回りしてる。

その日がはやく来ればいい。
そうすればきっともう苦しくなんてないのに。
私がそっちに行ったら、キラ、夢のときみたいに私に笑ってね。

お願いだから、ね、キラ。




コーディたちが忙しく動き回ってる。
なんか殺気立ってるみたいだけど、
何がどうなってるのか状況がわからない。
クローゼはどこに行ったんだろう。
私には誰も何も教えてくれない。話しかける相手も私にはいないから。
ただ混乱してる。
でも、銃は手に入った。
どさくさにまぎれてこっそりとった。
ちゃんと撃てるといいんだけれど。
おろおろして流されるだけだったけど銃のことは忘れなかったのよ。
ここがどこかなんてもう関係ない。あとは撃つだけ。
それでおしまい。私は解放される。
キラ、見てて。
どうか一瞬で終わりますように。
ああ、クローゼ、邪魔しないで!
なんであなたがこんなときに来るの?
人がせっかく、せっかく
見つかってとりあげられたら困るから、隠さなきゃ。
何を言ってるのかわかんない。わかんないことだらけ。
あと少しなのに。
クローゼが言ってることも、パパに呼ばれてるみたいで、なんだかひどく現実感がない。
なに?
力が入らない。
腕が、あげられない。これじゃ銃がうてない。
キラのところにいけない。

どうして、どうして?
キラ。




ずっと真っ暗だった。
ずっとキラの名前、よんでた。
頭、ぐるぐる。
どのくらい時間がたったんだろう。
すごく長かった気もするし、一瞬だった気もする。
何が起こったんだろう。
だんだん感覚が戻ってくる。
身体に触れてる銃の冷たい感触に安心した。
良かった、気づかれなかったみたい。
とりあげられなくて良かった。
突然まぶしくなった。
腕……うん、あがる。大丈夫。
かすんでた目もだんだんはっきりしてくる。
キラが見えた。
迎えに来てくれたの?
今、行くから。
一緒に行くから。
置いていかないで。ちゃんと連れてって。
胸に銃口を押し付ける。
キラのことさいごまで見てたいから、目は閉じない。
怖くなんてないわ。

キラ、ありがとう。



10

痛いよ。
血、いっぱい出てる。
そこから寒くなってく。
腕、つたって、生あたたかいのが流れてる、気持ち悪い。
ぬるぬるする。
身体、重い。けど、誰かが支えてる。
私を抱きしめてるの、キラ?
キラの腕に抱きしめられてるとこ、そこだけあったかい。
あったかい、なんで?
キラは死んだのに。あったかいはずないのに。
でもこれはキラの腕だわ。
覚えてる、あの夜の力強さとか。
「フレイ……フレイっ」
どうしちゃったの。私、わたしちゃんと撃てなかった?
胸じゃない、肩が痛い。気、遠くなりそう。
ぱたっ、て。液体が顔に降ってくる。
キラ?
泣いてるの?
キラ。
泣き虫ね。
ねえ、もう泣く必要なんかないのよ。
ひとりぼっちの、さびしがりやのキラ。
これからは私がそばにいるから。
一緒にいるから、さびしくなんかないわ。

そうでしょ? キラ。



11

ほんとに泣き虫なんだから。
いつまで泣いてるのよ。
「……っフレイ」
腕、しびれちゃって伸ばせないの。
だから、涙を拭ってあげられない。
頭をなでて、抱きしめて、慰めてあげることもできないの。
ああ……ほら、泣かないで、キラ。
もう泣いたりしないでいいの。何回言わせるの?
まったく、仕方のない子ね。
「なっ……泣いてるのは、君のほうじゃないか……!」
そう、私も泣いてる。
これからは、私があなたのかわりに泣くから。
あなたを想って泣くから。
優しいキラ。優しすぎたね。
コーディネイターなんて、大嫌いだったのに。
なんでかな。いつから、どうして?
こうなっちゃったんだろう。
いっぱいいっぱい傷つけた。
ひどいこといっぱいした。それなのに。
それでも、
好きだったわ。

「好きよ、キラ」

大好きよ。



12

平和だったとき。
まだ、ヘリオポリスで友達に囲まれて、
自分がコーディネイターなのをあまり気にしなくても生きていくことができた、
あの時間。
僕は君を遠くから見てた。
見ていることしかできなかった、とも言うけどね。
どこにいてもフレイは目立ってた。
友達に囲まれて、華やかに笑ってた。
僕の目には、そこだけ色が違って見えた。
その笑顔が自分に向けられたらどんなにいいだろうって、よく思ってたんだ。
でもそんなことはまずないだろうっていうこともちゃんとわかってた。
フレイはよく、告白されたりしてたね。
僕ときたら、どんな返事をしたんだろうって、そのたびに噂に耳を傾けてた。
君の返事はいつもノーだったから、僕はよくほっとして。
今思うと、あのころ君が断ってた理由はサイだったんだよね。
それでもそのときの僕は君に、
フレイ=アルスターに、
憧れてた。
鮮烈だった記憶の中の君。

フレイ、もう一度、フレイの笑顔が見たいんだ。



13

僕の後ろにできるのは死体の山だ。
重なっていく屍。
腐肉と流れる血のにおい。
君が僕に守ってと頼んだ、君のお父さん。
僕に紙の花をくれた小さな女の子。
君のお父さんも、あの子も、僕は守れなかった。
守ってくれてありがとう、
ありがとうなんて言ってもらえる資格僕にはないのに。
どれだけの命があの艦に乗っていたのだろう。
僕が守るといった人たち、
僕のことを信じて死んでいった人たち。
たくさんのたくさんの、子供や大人や、女の人や男の人の命。
すべてが、一瞬で。
そのたった数秒で、終わってしまった。
光となって消えてしまった。
僕は押しつぶされそうだった。
命の重さに恐怖した。
「わたしのおもいがあなたをまもるわ」
あの言葉が嘘だったとしても。
嘘だとしても、君の言葉が僕を救ってくれたんだ。
僕だって、誰かに守って欲しかった。

ねえフレイ、僕は君の言葉に、
確かに守られてたんだよ。



14

自分のせいだと思っていた。
ずっと。
気づかなかったんだ。
守りたかった。守りたくて戦った。
守りたくて戦って、でも守れなかった。
守れなくて、泣いた。
ぶちまけてしまいたかったんだ。
それを受け止めてくれたのが君だった。
誰かにわかって欲しかった。
近くにあったぬくもりに、君に。
すがった。
そのときは、そう……同情でも良かったんだ。
とにかくなにかにしがみついていたくて、
そこに君が手を差し伸べてくれたから。
君が何を思っていたかなんてどうでもよかった。
余裕がなかったといえばそうだね。
言い訳になっちゃうけど、周りが見えていなかったんだ。
ひとつのことを考えるので精一杯だった。
僕が守れなかったたくさんの命。
何のために戦うのか。
本当は守れたんじゃないか、僕のせいだ、僕の、
僕の!!

ごめんね、フレイ。ごめん。
君が本当はずっと泣いていたことに、気づけなかった。



15

舞い上がってた僕は馬鹿としか言いようがない。
君の身体はどこもかしこもやわらかくて、あたたかくて、
僕はその甘さに酔った。
君の傷の痛みがどれほどのものだったか、
どんなに打ちのめされていたか、
僕にキスをくれたその唇は、悲鳴を上げたくて仕方なかったのに。
好きになってもらえたんだと、単純に思ってた。
ひどく……調子のいい考えだよね。
最初は同情でも良かったのに、いざ君を手に入れられそうになると、全部が欲しくなった。
フレイだけが僕をわかってくれる。
フレイだけが僕を抱きしめてくれる。
溺れるのは心地よかった。何も考えなくてすんだんだ。
無我夢中で君を求めた。
君の手は優しくて、君の声は穏やかで、君の身体は美しくて、君の笑顔は安らかだったから。
僕は君の大嫌いなコーディネイターだったのに。
憎まれても当然だったのに、君がすべて許してくれたから。
僕は君が傷つくこと、傷ついていたこと、思いやってあげられなかった。
優しい手は、僕に触れるのもいやだったはず。
穏やかな声は、僕と話すのだっていやだったはず。
美しい身体は、僕に抱かれるなんていやだったはず。
そして、君の笑顔は、僕ではない彼に向けられるものだったはず。
それなのに僕は。

いまさら許してなんて言えないかもしれないけど、フレイ。



16

君に好かれていないこと。
君の気持ちがただの同情だということ。
これ以上思い知らされたくなくて、離れたほうが楽だと思った。
ずっとサイに嫉妬していた。
サイがうらやましかった。
君はサイが好きなのに、無理をして僕と寝たんだと思って、つらくて……。
コーディネイターであることの優越感なんて一瞬の間だけだ。
それはそのまま、『君の嫌いなコーディネイター』という事実となって返ってくるだけだったから。
本気を出せば、喧嘩は勝てる。
でも、
いくら肉体が優れていても、頭脳が優れていても、
内面はどうやったって僕はサイに勝てなかった。
サイはいいやつだから。
僕なんて足元にも及ばないくらいいいやつだった。
僕はまた罪悪感につぶされそうになった。
こんなの耐えられないと思った。
君の気持ちとサイの気持ちと、僕の気持ち。
その全部に責められているような気になった。
どこで間違ってしまったんだろうね?
ひょっとしたら最初から。

今、僕の前で銃を握り締めてる君。
フレイが一番責めていたのは、フレイ自身だったなんて。
ねえフレイ、一度間違ったことは、もう取り返しがつかないの?
そんなの嫌だよ。



17

あのとき、互いの本心がわからずに、傷つけあうしかなかった僕たち。
僕がとった行動は最低だった。
逃げたんだ、僕は。
君の目から逃げた。
“可哀想なキラ”
君の優しさが単なる同情だってことが決定的になって、
考えないようにしていたことを目の前に突きつけられて。
もうやめよう――――そうして終わりにした。
僕が出撃する前に、君は何か言いたそうだったね。
『帰ってから』
そのときは、そのつもりだった。
でも、トールが死んで、僕は吹っ飛んで……
ラクスに助けてもらって。
僕が帰ってきたとき君はもういなかった。
君と最後に交わした言葉、あの続きはなんだったんだろう。
それがずっと気になってた。
ラクスやアスランやカガリやAAのみんなのおかげで、今の僕は変われた、と、思う。
もう逃げない。そう決めた。
迎えに来たのに。
やっとまた会えたのに。
どうしてこんなことになってるんだろう。

僕は帰ってきたから。
ちゃんと話、聞くから。
僕は、今度こそ君を守りたい。
だから、ねえ、お願いだから、目を開けてくれ。



18

嘘じゃなくて、本当に、このまま死ねたら幸せだなと思ったのだ、フレイは。
だってフレイには生きる為の理由になるものが何もなかったし、好きな人はみんな死んでしまった。
彼女を守ってくれる人も、彼女が守りたい人も、もう誰もこっちにはいない。
最後に見たのがキラの幻なら、綺麗に笑っていくことが出来るだろう。
……そのつもりだったのに。

微笑みの形をしていたフレイの口の中に、鉄の匂いと血の味が広がった。
唇にやわらかい感触を感じて、フレイは意識を軽く浮上させた。
彼女の意識は朦朧としていたので、血と柔らかいモノのどちらが先に唇に触れたのか自信は持てなかった。
ひょっとしたら柔らかいモノが先だったかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
だが、彼女には覚えがあった。以前、ずっと以前、自分はこれに触れたことがある。
私はこれを知っている。そう思った。
なんだろう、優しい、柔らかな――――……くちびる。
いつだってそれは自分から求めたものだった。
時には嘘で塗り固めたキス。あるいは繋ぎとめておくための手段として。
安心させるための呪文とともに優しさをこめて。
彼のほうからしてくれたのは、自分と寝たときだけだ。
だがそれはただの獣じみた行為の一環でしかない。
愛情としての証ではない、そして自分もそうだったのだから。

血の味というのは不快なものだ。
自分は吸血鬼ではないし、食べ物だって生臭いものはあまり好きではなかった。
それなのにこの唇は、自分に血を飲ませようとしている。
どういうつもりなんだろう。表面には出てこない意識の下でフレイはぼんやりと思った。
しびれて動かなかった肩、感覚などとうに忘れたものとしていたその器官に激痛が走ったのはそのときだった。
皮肉にも、その痛みが彼女を完全に覚醒させることとなった。
「い……いったーぁ……!」
「フレイ!?」
その声を聞いたとき、フレイは自分の心臓が止まるかと思った。
夢でも幻でもない。実態だ。生きている。だって温かい。だってこんなにはっきり、自分の前にいる。
でもどうして。彼は死んだはずだ。MIAはたいてい助からない。コックピットはどろどろに融けていた。
それがどうしたというのだろう。彼はここにいる。今フレイのところに。それでいいじゃないか。
それが全てだ。どうして助かったかなんて必要ない。彼が生きていてくれたという、その事実だけが大事なのだ。



19

キラは一種のパニックに陥っていた。
彼の腕の中のフレイは、彼が今まで見たことのない極上の笑顔で、目を閉じていた。
くたりと力を抜いて、彼の腕に身体を預けきっている。
ぞくりとした恐怖が身体を駆け抜けた。
自分が抱いているこれは、生きることをやめてしまった人間の身体だ。
にわかには信じられなかった。誰がこんな結末を望んだだろう?
僕が見たかったのは、生命力に溢れた、大輪の花のような笑顔だ。

キラはおもむろに、フレイの血まみれの服を破った。
むきだしになった肩の傷口から血が流れている。銃弾は貫通しているようだ。
どうすればいい、どうすれば?
混乱した頭のまま、キラは溢れる血を吸い、たっぷりと口に含んだ。
祈るような気持ちで、フレイの唇に自分のそれを重ねた。
どこかでは、そんなことでは輸血にもなりはしないことをわかっている。
だがそれでも、もしかしたら……という、希望を捨てることは出来なかった。
飲んで。お願いだから、飲んで。少しでもいいから。
笑みを形作った唇を割って、口の中の血を全部流し込む。
フレイの唇は口紅を差したように真っ赤だった。
死に行くものの唇はもっと血の気の失せているものだ。
フレイはまだ生きている、大丈夫だ。信じろ。
そうだ、血を止めなければ、とキラは破った袖の布を、フレイの肩にまきつけた。
ぎゅっと上のほうを縛る。とにかく必死だったせいで、余計な力が入ったのだろう。
きつく縛りすぎた。それほどに、血を止めなければという思いがあったのだが。
フレイの唇が動いた。
「い……いったーぁ……!」
「フレイ!?」
フレイの目が開いて自分の姿をとらえる、映し出す、そのことに、キラは思わず歓喜の声を上げていた。



20

あのとき、すっごく痛かったんだから!
しょうがないじゃないか、僕だって夢中だったんだから。
なによ、言い訳する気なの? だいたいあなた、見かけによらず馬鹿力なのよ、少しは手加減しなさいよね。肩が千切れるかと思ったわよ。
だって、止血しようと……それに、それを言うなら自分で撃ったくせに……。
それはそうだけど、それだってあなたが――――っと。
僕が何?
ううん、別になんでもないわ。
ふーん?
あ、そういえばあなた、なんで私に血なんか飲ませたの?


二人とも口の周りが血まみれで、まるで吸血鬼みたいだった。
急所をはずしたことも幸いしフレイは一命をとりとめ、アークエンジェルに運ばれた。
フレイはキラが死んだとずっと思っていて、キラはフレイが転属先で、AAにいたときよりはずっと安全な日々を送っていると思っていた。
そんな二人が今はどうだろう。こんな風に再会するなんて、思ってもみなかったのに。


ねぇキラ。
ん?
あのとき私、実はよく覚えてなくって自信ないんだけど、……ちゃんと言えてたかしら。
え、なんのこと?
だから、その……何よその顔。
何って、さあ。
キラ、あなた……本当はわかってるんじゃないのっ!?
ううん、さっぱりわからないよ。それで?
……むかつくからもう言ってやらないわ。
フレイ?
……。
フレイ、怒ったの? ごめん、やりすぎたかな……。
……ありがと。
えっ?
あと、ごめんなさい。ずっと、それが言いたくて……でも、言えなくって。あなたが帰ってきたら、ちゃんと……そう思ってて、でも。
……うん。
言えてよかったわ。なんか、すっきりした。ふふ。
でもそれ、あのとき言ってくれたのと違うよね?
……!
出来ればもう一回聞きたいんだけど、ダメ……かな。

 
今度は、血以外の味がした。

 

今までありがとっした。


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