もつとたのしくて
1
けたたましい時計のベルの音でフレイは目を覚ました。
「…うっ…、うるさいわねぇ。…時計?…」
何かに弾かれたように飛び起きたフレイだったが、途端に頭を押さえて顔をしかめる。
「…イッタァ…何?この頭痛…それに少し吐き気もするわ…」
全くひどい目覚めだった。大体、朝は爽やかなもの、と相場が決まっているだろうに。
フレイは、何故こんなに頭が痛いのか、その理由を考えようとしたのだが…
「………嘘………」
一大事だった。一体いつ眠ったのか全く覚えていない。
一晩…いや、正確には昨日の夕方からの記憶が、抜けていた。
混乱したフレイの目が宙を泳ぎ、思い出したように時計に止まる。
途端にフレイは頭痛も忘れてベッドからシャワールームに駆け込んだ。
僅か数分で、いつもならたっぷり時間をかけるシャワーを終えると、ろくに鏡も見ずに服を着て部屋から飛び出した。
「…お嬢様、今日は学校はお休みですか?」
フレイは他人に起こされるのが大嫌いだったし、寝坊するなんて事は今まで一度も無かった。
だからこそのメイドの言葉だったのだが、今のフレイには皮肉以外のなにものでもない。
「…今日は朝食はいいからっ!気分悪いの」
立ち止まりもせずにそう言ってドアを開けると、朝から強烈な日光が突き刺す。
フレイは一瞬立ちくらみを起こしてよろめいたが、きっと唇を引き締めると駆け出した。
『でも、昨日は何があったかしら…?』
頭痛を我慢して走りながらも考えていた事はそれだった。
『確か…サイの誕生日パーティーだったわよね…昨日は…』
「おはよう!」
フレイの言葉で振り返ったクラスメイトは一様に、少し驚いたような表情を浮かべていた。
「おはよう…フレイどうしたの?いつもはもっと早いのに。顔色も…」
「…ちょっと…ね」
どうにか始業に間に合った安堵感でフレイは汗をかいた不快感も忘れていた。
汗をかいたおかげか、頭痛も少し和らいだような気がする。
「フレイ、今日提出するレポートどう?私自信無いな〜」
「え…っ?レポート?」
「やだ、忘れちゃったの?」
「どうするのよフレイ、放課後呼び出されるよ」
「禿の説教、しつっこいのよね。ネチネチと。一対一だとかなりきついわよ」
どうしてこんな日に限って…フレイは目の前が真っ暗になった。しかし、現にフレイの鞄の中にレポートは無かった。
「え〜では、先日の講義のレポートを提出してもらう。後ろから集めてくるように」
禿頭の教師の言葉を、判決文を聞く被告のような気持ちでフレイは聞いていた。
自分でも、顔が真っ赤になるのが分かる。出来るなら逃げ出したいくらいだった。
「…ン?フレイ・アルスター、君のレポートは提出されていないようだが…」
「すいません…忘れ…ました…」
我ながら情けなくなるような、蚊のなくような声。
フレイの後ろで、ジェシカが十字を切って手を合わせていた。
2
朝の頭痛と、放課後のお説教のダブルパンチ。
憂鬱な一日を振り払うべく、フレイは部室に向かっていた。
「ハァ…」
全く最悪の一日だった。それもこれも、寝坊したのがいけないのだ。
しかし、その前の問題として、一体昨日何があったのか、という疑問がフレイの頭を占めていた。
部室のドアを開けると「おはようございまーす」と挨拶をする。
…この演劇部独特の挨拶を初めて聞いた時、『もう夕方なのに?』と思ったのだが、今では何の違和感もなくフレイ自身が使っている。
慣れとは恐ろしいものだが、もちろん今のフレイにそんな感覚は無い。
台本を読んでいたミリアリアが顔をあげ、視線が合った。
「…!?」
どことなく感じた違和感。いつもなら明るく返事をしてくれるのだが、今日は一瞬の間をおいて、「お、おはよう」と返事が返ってきた。
「フレイ…もう大丈夫なの?」
「え…っ?大丈夫って…何がですか?」
「え…フレイ…」
また一瞬、ミリアリアの言葉が詰まる。
「ううん、覚えてないならいいのよ…来月は一年生だけの舞台でしょ、もうセリフは覚えたの?」
「もう気合入っちゃって、台本読んでる夢を見るくらいですから」
「そうなんだ。じゃあ、ちょっと練習しましょうか?私が相手役になるから、フレイは台本無しでやってみて」
「ハイ!お願いします!」
最初のミリアリアの態度に一抹の不信感を覚えたフレイだったが、舞台の話になると途端にそんな事は忘れて夢中になってしまう。
何しろ初めての舞台でヒロインを演じるのだ。夢中になるなと言うのが無理な話ではあった。
フレイは、時間が過ぎるのも忘れていた。
3
フレイが部室を出たときには既に辺りは暗くなり始めていて、人気の無くなったキャンパスはいつもより圧迫感があった。
思い切り声を出し、動き回り、汗をかいたフレイは家路につこうとしていた。
「…まだちょっと…上手くいかないわね…」
イメージしたヒロイン像とうまく噛みあわない自分に多少苛立つ。
演じるという快感は好きなのだが、いきなり実力以上のものを自分に求めてしまうのがフレイの悪い癖であった。
舞台に立つまで残された時間は少ないという焦りが自然と表情に現れていた。
「フレイ!」
「サイ…まだ残ってたの?」
「うん、ちょっと機械の調整に手間取っちゃってね…」
フレイとサイの家は隣同士、と言っていいほど近い。自然と一緒の方向に歩く形になった。
「フレイ、昨日の事なんだけど…」
サイが物凄く言いにくそうに、しかし言わねばならないという風に、妙に気張った声色で言い出した。
「あの後、大丈夫だった?」
「え?…あの後?」
まただ。部室でのミリアリアと同じだった。
『昨日、昨日…サイの誕生パーティ…?でも、そこで一体…』
「フレイ?…こんな時間まで残ってたなんて、クラブ活動だろ?劇、何やるんだっけ?」
「…えっ?…あぁ、『ジャンヌ・ダルク』よ。演劇部の伝統らしいわ」
「ふーん…で、フレイがジャンヌをやるんだ」
「そうよ、せっかく主役をもらったんだから、頑張らないと」
「そうか…」
どこかサイの言葉には落ち着きが無く、フレイはそれが気がかりだった。
「ねぇサイ、私に何か隠してるでしょ?」
「え?そ、そんな事…」
本当に、飽きれるほど嘘が下手な男。馬鹿正直とはこういう事を言うのだろう。
4
父ジョージ・アルスターがいない家にも慣れてきた。寂しい事だが、とにかく父は忙しいのだから仕方が無い。
夕食の後、メイドさんが帰ってしまうと、ぽつんと一人取り残されたような感覚が残る。
最近は台本を読んだりしていて寝るまでの時間を過ごすのだが、今日は集中する事が出来なかった。
「はぁ、駄目ね…」
フレイは自分の部屋から出ると、水を飲もうとキッチンに向かった。その途中、ジョージの部屋のドアが僅かに開いているのに気づいたのは全くの偶然だった。
「…?いつも鍵をかけて出ているはずなのに、何で…閉め忘れたのかしら?」
そっとドアを開け中を覗いてみる。誰もいない部屋の中央、どっしりとした造りの木の机の上に、ワインの瓶が一本置かれていた。
「…?…これ…パパが飲んでたのかしら…いえ、もしかして…」
もしかしたら、メイドが盗み飲みしていたのかも知れない。
フレイにとっては家族の一人とも言って良い付き合いの長さだが、それだけに少しだけなら、という甘えがあったのかも知れない。
「もう…仕方ないわね…」
メイドに問うのは明日にする事にして、瓶を手に取るとたくさんの瓶が並べられた棚の中へ戻そうとしたが、
「うわ…」
微かに香ってきたアルコールがフレイの鼻腔を刺激して、一気にフレイから平衡感覚を奪っていく。
その時、フレイは思い出した。確か3年前、いたずら心でワインを一口飲んでその後の記憶を無くしたこと。
気づいた時は自分のベッドの上だったがジョージは怒り心頭で、それ以来出かける時は部屋に鍵を掛けてフレイが入れないようにしたこと。
そして…昨日のサイの誕生パーティー。
招待されたのはフレイの他には主にサイのクラスメイト達だった。
サイやトール、カズイはシャンパンなんか飲んでいたけど、勿論フレイはそんなものを飲むつもりは無かった。
けれど、3年前の事など知らないミリアリアが「おいしいわよ」と勧めてくれて、それと知らずに口に入れたのは…
『有名菓子店製ウィスキーボンボン』
5
「フレイ…?」
「…」
「ねぇ、フレイったら!どうしたの?」
「……」
フレイ、無言。
ミリアリアは、フレイの前に回って表情を窺おうとして…かなり危険な状態である事は直感で分かった…
「ちょっと、トール…」
トールに救いを求めようとしたミリアリアの腕を、ミリアリアが痛みで顔をしかめるような力でフレイが握り締めた。
「ねぇ、ミリィ…」
思わず総毛立つほどの、甘ったるい、蟲惑的な声。心なしか視線の焦点が合っていない。
透き通るような白い肌に仄かに血がのぼって、顔に薄いピンク色が差していた。
「最近、私、自信無くしちゃって…私に、主役できるんでしょうか…?」
フレイはミリアリアの手を取り、見上げるような哀願するような目でそう言った。微妙に舌がもつれている。
「な、何言ってるのよ。大丈夫、あれだけ練習してるじゃない…自信を持てば大丈夫だから…」
そうは言ったものの、果たしてフレイに聞こえているのかどうかは判らず、ミリアリアは動揺していた。
フレイは目を伏せて少し考えているようだったが、やがて顔を上げると不安そうに
「そうかな…?」と呟いた。
ミリアリアは自分が初めて舞台に立った時の事を話して、懸命にフレイを落ち着かせようとした。
それを聞いて、フレイも少し安心したようだった。
「…だから、とにかく一生懸命やれば良いのよ。そんなに思い詰めないで」
「…分かりました。頑張ります!」
ようやく笑みを見せたフレイは、側にあったグラスに手を伸ばすと一気に飲み干した。
「あ…それ…」
ミリアリアが止める間も無く飲んだそれは…シャンパンだった。
6
喉を鳴らしてシャンパンを飲み干したフレイを、おろおろしながら見守るミリアリア。
話に夢中になっているサイやトール達はそんな二人の様子にまだ気づいていない。
燃え広がるように、フレイの顔が一気に赤くなった。
「フレイ、フレイ!大丈夫?」
そう言ってフレイに近づいたミリアリアに、いきなりフレイが抱きついてきた。
「ミリィ〜」
「きゃっ!」
それを支えられなかったミリアリアはフレイを上にして床に倒れてしまい、テーブルの上から菓子や飲み物がこぼれて散らばった。
「痛ぁ…フレイ、大丈夫?」
「フレイ!ミリィ…どうしたんだ?」
物音に気づいたサイ、トール、カズィが駆け寄ってきて、二人を起こそうと手を伸ばした。
「サイィ…」
サイに手を取られたフレイは、もたれかかるようにして立ち上がると、
「ねぇ、来月は絶、対見に来てね。…約、束よ?」と、ろれつが回らない舌で一生懸命に言った。
「サイ、フレイは寝かせた方が良いんじゃないか?…家に帰した方が…」
カズイがそう言うと、ミリアリアを助け起こしたトールも同調して頷いた。
「そうだな…フレイ、家に帰った方が良いよ、僕が送っていくから…な?」
サイがそう言うと、フレイは表情を一変させた。
「何?…私に帰りなさいって言うの?…まだパーティー終わってないん、で…しょ?」
怒り、というより純粋に不思議がっているような声だった。
「いや、その…フレイ、少し酔ってるみたいだし、明日も学校があるから」
「…何言ってる、のよ。私、酔ってなんかいないわよ。大丈夫だか、ら」
そう言うのが酔っぱらいなのだとトールは心中で突っ込んでいたが、少し落ち着かせるように、とサイに目で合図をした。
カズイはさりげなくフレイの周囲からアルコール類を遠ざけるように片付け始めた。
「フレイ…とにかく、落ち着いて、ほら、椅子に座ろう?」
「大丈夫だったら!…う…ごめんなさい、ちょっとお手洗い、に行ってくるわ」
フレイはそう言うと、フラフラした足取りで部屋の出入り口の方へ向かおうとしたが、ちょうどそこへキラ・ヤマトが入ってきた。
「サイ、遅くなってごめん。カトウ教授にまた仕事頼まれちゃって…」
と言ったキラの目の前にフレイの体が揺れながら現れたかと思うと、それが覆い被さってきた。
「あっ…ちょっと、フレイ…?」
キラはフレイの身体を受け止めて立ちすくむ格好になった。フレイの身体は羽毛のように柔らかく、軽く感じられた。
ほんの少し感じられる、アルコールだけでは無いフレイそのものから感じられる甘い香りに、一瞬、キラの意識が遠のいた。
「ねぇ、フレイ、フレイったら!」
フレイは答えず、そのまま眠っていた。
「トール、ど、どうしよう…」
「とにかく、寝かせようよ。落ち着いたら、家まで送ればいいさ。…サイ、フレイがこうだと知ってたんだろ?」
「いや、今までアルコールを飲んだことなんか無かったし…キラ、本当、御免」
サイはトールとキラに謝ったが、二人にはサイを責めるつもりなど無い。
「フレイ、大丈夫?」
「多分ね…しかし、こんなに弱いとは知らなかったよ。これからは気をつけないとね」
7
フレイはパーティーに参加した人に謝らなければならないと思った。特にサイには。
シャンパンを飲んだ後の事はどうしても思い出せないが、ろくな事をしていないのは、昨日のミリアリアとサイの態度を見れば明白だ。
昨日とは別の意味で憂鬱な朝だった。どうやって顔をあわせたら良いのか、わからなかった。
とりあえず、メイドには注意だけしておいて学校へ向かったが、足取りは重い。
「どうしよう…」
出来る事なら行きたくなかったがそうもいかない。ため息ばかりが出た。
「フレイ、おはよう!」
「…おはよう…」
「どうしたの?また気分悪いの?ははぁ、さては…サイ…」
「…!ち、違うわよ!何言ってるの!」
自分で半ば白状しているようなものだ。それに気づいた時には既に遅く、フレイは更に憂鬱になった。
お昼休みの時間に、フレイはサイのいる教室に向かった。謝るなら早い方が良い。
「あ…」
入り口から出てきたのは、キラだった。
フレイと目が合った瞬間、キラの顔が、火がついたように赤くなる。
フレイは、キラがパーティに来ていた事すら覚えていない。もちろんキラに助けてもらった事も…
「ごめんなさい、サイ、中にいるかしら?」
「あ、う、うん…」
「ありがとう、ちょっと失礼するわ…」
キラの視線はフレイを追っていたが、フレイはそれには気づかずサイの所へ行っていた。
8
サイは「気にしないで、楽しいパーティーだったから」と言い、一緒にいたトール、カズイは苦笑いしていたが、お酒に弱いって知らなかった僕らも悪いから、と言ってくれた。
フレイの沈んだ心もそれで少しは慰められたが、とんでもない事をしてしまったという思いが消えた訳ではないし、顔を合わせるのは気恥ずかしかった。
自分の魅力を自覚しているだけに羞恥心も人並み以上で、他人に自分の弱みや失態を見せるのを何よりも嫌うのがフレイである。
しかし、事故に近い形とは言えこんな事になってしまって…何だか取り返しの付かない事をしてしまった気分ではある。
いつまでもクヨクヨしていても仕方ないのは分かっているのだが、あっさり忘れてしまうほど切り替えの早い性格でもなかった。
「おはようございます…」
いつものように部室のドアを開けて挨拶したが、自分でも内心嫌になるほど声に張りが無い。
「おはよう…フレイ、どうしたの?風邪でもひいてるの?」
案の定、の答えが返ってきて、正直なところ家へ帰りたくなったが、自分が劇の主役なんだから、という義務感が辛うじて踏みとどませた。
「そんなわけじゃなくて…ごめんなさい、何でもないの」
「?…なら良いけど…。さ、今日は第2幕からね。…」
部員達が集まって打ち合わせを始めたが、いつもは最前列にいるフレイは今日は後ろの方で申し訳無さそうに聞いていた。
「…フレイ…」
「!!」
後ろから、フレイの肩を軽く突付いたのはミリアリアだった。フレイは飛び上がりそうになったのを危うくこらえて、強ばった表情で振り返った。
「あ…ハ、ハゥ先輩…」
「ミリィで良いわよ。どうしたの?さっきから。何か変よ」
「…ちょっと、一緒に…」
フレイは小声で言うと、ミリアリアの腕を引いて部室の外に出た。
「どうしたのよフレイ…」
「あ、あの…ごめんなさい!一昨日の夜、サイの誕生パーティーで…」
そこから先は、お昼にサイやトールに謝ったように、必死だった。しどろもどろになる自分に少し腹を立てながらも、とにかく詫びた。
「……せっかく、みんなで楽しんでたのに、あんなことしちゃって」
「いいのよ。でも、大丈夫だった?あの後サイとキラで家まで送ったみたいだけど、フレイ寝ちゃってたみたいだし」
「…キラ?…キラも、いたんですか?」
「あら、覚えてないの?」
ミリアリアの話を聞いたフレイは血の気が引いた。まさか、酔ってキラに抱きついていたとは。それもみんなの前で…
お昼に会った時は、サイに謝ろうとばかり思っていてキラの事は頭に無かったので、無視に近い態度を取ってしまっていた。
きっと、キラはそれを快くは思っていないだろう。フレイはキラをよくは知らない。
キラがフレイを目で追っていた事にも、フレイは気づいていなかった。
「どうしよう…私…」
9
謝罪というものは、一旦機会を失ってしまうと中々言えなくなってしまい、小さな罪悪感でも気が付けば胸の内で勝手に膨らんで、自分が大罪を犯したように思ってしまう。
日常生活では接する機会が無い分、余計に声がかけにくくなってしまう。
たまに、キラの姿を目にすることはあるのだが、近づく事すら容易ではないように感じられ、フレイはキラに謝罪する事も無く時間だけが過ぎていく。
サイは多分、キラにはとっくに謝っていると思っているだろうし、迷惑をかけた手前トールやミリアリアに相談する訳にもいかなかった。
損な性格、かも知れない。生真面目というか、引きずってしまうというか…
だから、一瞬でもそんな気持ちを忘れられる演劇の練習時間は、真剣だった。
「フレイ、最近、何か鬼気迫るって言うか…凄い集中力よね」
「やっぱり、主役だから張り切ってるんでしょ」
「私たちも負けてられないわね…」
フレイは気づく余裕もないが、それが周りに良い影響を与えているのは間違いなかったし、ミリアリア達上級生も期待していた。
そうしている内に、とうとう劇の上演当日になった。
楽屋裏のごった返した、まるで戦場のような騒ぎの中、フレイは一人黙り込んで台本に目を通していた。
かなりの時間読み込んで、あちこち折り目が付いている。それでも目を通さずにはいられなかった。
今さら、なのだが、そうでもしないと気持ちが落ち着かずに舞い上がってしまいそうだった。
「フレイ!」
ミリアリアの顔を見ると、どうしてもキラの事を思い出してしまう。
「衣装、似合ってるわよ…そんなに緊張しないで、ね?いつも通りやれば良いんだから」
「はい…」
「どうしたの?あんなに頑張ったじゃない。大丈夫だから」
「分かりました。頑張ります」
自分を元気付けようとしてくれるミリアリアの気持ちが嬉しいから、たとえ作り笑いでも答えなければならないと思う。
幕が上がると、拍手が雨のように降り注いだ。どうやら観客は多いようだ。
ライトが逆光になっていて舞台から客席はよく見えないが、多くの人の目に曝されるというのはプレッシャーではある。
しかし、フレイはそれを楽しんでしまえる性格で、劇などを演じるのは天職なのかも知れなかった。
ふと、目の端に、よく知っている人を捕らえたような気がした。
『サイ……キラ…!』
それにトールにカズイ、合わせて四人が並んで座っている。
『実験があるから来れるかどうか分からないと言っていたけど、来てくれたんだ。』
自然に、顔がほころんだ。
10
暗闇の観客席から見える舞台は白いライトを浴びて、それぞれの衣装に光を反射させながら演じている者達は、白銀に輝く月面で踊る星を想わせた。
その白銀の世界で、フレイの赤い髪がたった一つ静かに輝く炎のように揺れていた。
心地よい汗が頬を、首筋を伝い、フレイは一瞬、陶然となっていた。
微かに上気した肌が白を基調とした衣装により一層ひき立てられて、幻想とも言うべき光景になっていた。
その幻想が舞台から観客席へ溢れ出て、キラはそれに包まれたように感じて、あの日のフレイの身体の感触と香りを思い出していた。
『そうだった…こんな風に、とても暖かくて、柔らかくて…気持ちが良かった…』
そのイメージを抱いたのはキラだけかも知れなかったが、それ以外の皆も、吸い込まれるように観劇していたのは確かなようだった。
豪雨のような拍手の音にフレイは我に返り、部員の皆が一列に並び始めていたのに慌てて一緒に並んだ。
舞台裏でそれを見ていたミリアリアはにっこり笑って手を叩いた。
「みんなお疲れ様!凄く良かったわよ!」
初めての舞台を終えた部員達は、プレッシャーからの解放感と充実感に包まれた笑顔に溢れていた。それはフレイも例外ではなかった。
「片付けが終わったら、打ち上げするからね。今日は本当にお疲れ様」
その声に一年生の間から歓声が上がる。
「やった!これだけが楽しみで…」
「ちょっと、それ言い過ぎ」
「でも、ほんとに疲れたよね。この衣装結構着苦しくって…」
そんな声を聞きながら、フレイは肩の荷が下りたような急激な脱力感を感じていた。色々あったせいで緊張が続き過ぎていたのだろう。
しかし、それをおくびにも出さずに笑顔で部員達の輪の中にいた。
「フレイもお疲れ様。練習通りだったわよ。ほんとに綺麗だった」
「…ありがとうございます。でも、ちょっと、まだ少し」
「贅沢言わないの。あれだけ出来れば上出来よ。初めてだったんだから、また次頑張れば良いのよ」
私は欲張りなのかなとフレイは内心で思ったが、とにかく終わったのだから今は余韻に浸っていれば良いのだと思い直して、着替えと化粧を落とすために部室に向かった。
鏡の中のフレイは、まるで夢を見ているような目をしていた。
『夢、か…演じるのって、そう言う事かもね』
フレイは鏡の自分に笑いかけると、衣装を脱ぎ始めた。
11
部室にはシャワーの類が備え付けられていないのが不満だったが、カレッジにそんなものを求めるのは贅沢というものだ。
急いで薄いベージュのワンピースに着替えてしまうと、片づけを手伝うためにとって返したそこでは、ミリアリアがトールやサイ達と談笑していた。
そして、その中にキラの姿を認めると、自然にフレイの足は止まってしまった。
「あ、フレイ、遅かったじゃない…今、トールも褒めてくれてたのよ」
目ざとく―フレイにとっては最悪のタイミングだが―ミリアリアが声をかけてきた。
「ぁ、ありがとう…ございます」
顔を赤らめたのは褒められた事への照れだけではなく、それ以外にも色々な感情が混じっていたのだが、フレイにもよく分からなかった。
うつむいて目を合わさないようにしてしまうのは決して意識してやっている事ではない。が、顔を上げる事は出来なかった。
「あの…私、後片付けがあるので…」
「あ!ごめんトール、私もう行かなきゃ。フレイ、一緒に行きましょ」
ミリアリアはトールにウィンクすると、フレイの後に続いた。
「フレイ、せっかく褒めてくれてたのに…ちゃんとお礼は言わなきゃ駄目じゃない」
「……」
「もう、どうしたのよ。…疲れちゃったの?なら、休んでて良いんだから」
「いえ、そういうわけじゃなくて…」
「じゃあ、何?」
多少、不満げな声だった。トールに褒めてもらったのにあんな態度を取ったのが、ミリアリアとしては納得出来ないのだろう。
そんな風に思われてしまったのがフレイを慌てさせ、思わずクチを滑らせていた。
「…えぇ〜っ、まだキラに謝ってなかったの?」
そう驚いてみせたミリアリアだったが、内心では『なーんだ』と半分呆れていた。
キラは、そんなことで怒ったり気にしたりする人ではないが、フレイはよく知らないからそうは思っていないのだ。
たしかに、一ヶ月も経っていればそう簡単に言い出せる雰囲気ではなくなっているし、フレイのプライドの裏返しとも言える羞恥心の強さも分かっていた。
要するに、もう自分からは言い出せなくなって、そのくせ気に病んで自縄自縛になっているのだ。
しかし、そんなフレイが少し可愛らしいとも思う。
と同時にミリアリアは、さっきフレイと会った時フレイに負けないくらいうつむいて恥ずかしそうにしているキラの姿も思い出していた。
『これは、何とかしてあげないとね…』
12
打ち上げと言ってもささやかなものではあるが、女子が大半を占める演劇部だから盛り上がりは凄いものがあった。
一年生は初めての舞台を終えて軽い興奮状態にあるのでそれに輪をかけていた。
『学内だからお酒は禁止』と部長から厳しいお達しがあったのだが、どうもそんな事は無視されているような雰囲気だった。。
フレイはオレンジジュースの入ったコップを手にして談笑していて、さっきのもやもやとした気持ちも大分和らいでいた。
「ねぇフレイ、次はどんな役やりたい?」
「そうね…男役なんてどうかな」
「いいわね!それ。じゃ、フレイはそれで決まりね」
「ちょっ、ちょっと!言ってみただけよ。何よ勝手に話を進めて…」
「いいじゃない。どうせ男子部員少ないんだから。誰かがやらなきゃならないのよ」
「ちょっと、あんた達まで…」
他愛ない会話が弾んでくると時間が経つのも忘れてしまって、もう外は暗くなり始めていた。
「フレイ、ちょっと…」
しばらく姿が見えなかったミリアリアがフレイを手招きして呼んでいた。
「ちょっといい?外に来て欲しいんだけど」
もしかしたら今日の舞台の事で何か注意でもあるのだろうかと、少し緊張してミリアリアの後ろについて外に出たフレイの目の前にいたのは、キラとトールだった。
「トールに呼んできてもらったのよ。フレイ、いつまでも気にしちゃ駄目じゃない。ここで謝っちゃいなさい」
どうやらミリアリアからトールを経由してキラは事情を聞いていたらしく、やや恥ずかしそうに黙って立っている。
突然の事に、フレイは絶句して立ちすくんでしまった。心の準備が全く出来ていなかった。
ミリアリアはフレイの後ろに回ると、囁くように
「大丈夫よ。キラも、全然気にしてないって言ってるから…」
と言ったのだが、フレイには聞こえていない。
「あ、あ、あの…」
真っ白になった頭には何の言葉も浮かばず、ただ津波のような息と心臓の音だけが響いていた。
「フレイ、あの…僕、別に…」
キラの言葉を最後まで聞く事もなく、フレイは突然身を翻すと部室に飛び込んだ。
忘れてしまいたい。この恥ずかしさとこの何とも言えない胸苦しさ。
カラカラに渇いた喉を潤そうと自分のコップに手を伸ばした。
が、動転していたので間違って隣のコップの中身を飲んでいた。味は、よく判らなかった。
13
そこから先の事は、フレイは翌日ミリアリアの口から聞いただけなので本当かどうかは分からない。
直角に頭を下げて謝るフレイに、逆に申し訳無さそうにおろおろとするキラ。
『大丈夫だよ。気にしてないし、フレイが悪い事したわけじゃないんだから』
と言うキラを涙を溜めた目で見つめると、またフレイは「ごめんなさい!」と謝った。
半ば呆れ顔のトールとミリアリアだったが、目で示し合わせると二人の間に割って入った。
『フレイ、もう大丈夫だから。キラも気にしてないって言ってるでしょ』
『キラもさ、ほら…』
ようやく落ち着いたかに見えたフレイだったが、肩を上下に揺らすほど荒い息をしていた。
キラはそんなフレイの肩に手を置くと、
『あの後、何も言わずに黙ってて…ごめん、謝るのは僕の方だよ…でも、ほんとはあの時…』
「……それ、ほんとですか?」
そこまで聞いた所で、思わずフレイは聞き返していた。何しろ身に覚えが無い。
「本当よ。こんな嘘言って何か私に得する事あって?」
「いえそれは…」
ミリアリアは澄ました顔をしていて、フレイに感情を読ませない。さすがに先輩である。
「あ、それと…フレイ、次の舞台なんだけど…男役やってみたいって言ってたわよね?やってみる?」
「な…!あれは冗談です!真に受けないで下さい!」
「え〜っ、素敵で良い役あったのに…フレイならイメージも合いそうなのに」
「…どんな役なんですか?」
結局、フレイはそっちの方に気が行ってしまっていた。ミリアリアが一枚上手である。
「あ、それと…トールには絶対、喋らないように念を押しておいたから安心して…フフ」
14
フレイは髪をアップにまとめて登校するようになった。
結局、男役を引き受けてしまった(ミリアリアの口車にのせられたようなものだが)ので、少しでもイメージを近づけようと思ったからだ。
いっそ切ってしまおうかとも思ったが、自慢にしていた髪を切る勇気までは持てず、そんな自分が少し嫌ではあったが、苦肉の策と言ったところだった。
そんなフレイを初めて見たクラスメイトやサイは驚きを隠せなかったがそれも徐々に慣れてきたようで、慣れてしまうと似合って見えてしまうから不思議なものだ。
むしろ、フレイが自身を似合うようにしてしまっているのかも知れなかった。
今までの風が髪をなびかせる感触が、アップにした事でうなじをなぞるように吹きすぎる感触に換わると、フレイはそれも気持ちいいなと感じていた。
新しい役に挑戦するという事は自分の中にある新しいものを発見するという事であり、それはフレイそのものを刺激して興奮させる。
一方、キラの方は何がなんだか分からないままトールに強引にフレイの前に連れて行かれ、取り乱したフレイの謝罪を受ける羽目になった形で、逆に自分の方が取り乱して何がどうなったのか良く分かっていない。
あれからトールはその事はおくびにも出していないし、サイやカズイにも口外はしていないようだ。
あの時は、トールに自分の気持ちを気づかれたのではないかと焦ったのだが、どうやらそういう訳ではなかったようだったから、その点だけは胸を撫で下ろしていた。
そうなると今さらトールに何がどうなってるのかなんて聞けないし、ある意味途方にくれていた、というのが正しく、そんなキラがフレイの髪型を見た時の驚きは大きい。
それとなくサイに聞いてみると、どうやら次の劇の役作りの為らしい事は分かった。
サイの誕生パーティーでフレイを抱きとめた時の甘い感触が蘇り、舞台の上で光を放っていたフレイ、そしてその夜、謝罪するフレイへの言葉…
キラは、フレイの気持ちを確かめたいと思った。言葉が、想いを伝えてくれるものだと信じられるのなら、同じように言葉を聞きたかった。
しかし、それには勇気が必要だった。
フレイにとっても事態は同じだった。考えてみれば、ミリアリアは最後まで話してくれた訳ではなく途中で打ち切った形になっていたから、フレイもどうなったのか知っていない。
つくづく、オレンジジュースと間違ってチューハイを飲んだ自分は馬鹿だと思う。が、これも後の祭りだ。
今度は誕生パーティーの後のようなことを繰り返す訳にはいかなかった。非はこちらにあるのだから。
放課後、意を決してキラのところへ向かおうとするフレイを、ミリアリアが呼び止めた。
「何処行くのフレイ?部室は逆よ?」
「いえ、その…」
何とも間の悪い展開だった。が、ここで躊躇していてはどうしようもない。それに、どうせミリアリアはあの時の二人の会話を知っているのだ。
「キラに用があるんです…」
「あ、そうなんだ。…そっかぁ…」
意味ありげな笑いを浮かべるミリアリアだったが、フレイはそれを見ることなく踵を返していた。
その背中を、白いうなじを見送りながら、ミリアリアは小さな声で『頑張って!』と、言った。
15
機械の間を色とりどりのケーブルが縦横無尽に接続され、まるで何かのコンサート会場のようにカラフルな教室にキラの姿は無く、いたのはトールとカズイだけだった。
今までの人生で一番、と言うほど緊張していただけにフレイは拍子抜けして座り込んでしまいたくなったが、だからと言って帰るわけにもいかない。
「あの…キラは、どうしたんですか?」
トールはフレイの声を聞くと、少し考えるような仕草を見せたが
「あぁ、キラなら…サイと一緒に外に出てるよ。すぐ帰ってくるはずだから、ここで待つ?」
と椅子を引き寄せた。
「あ、ありがとう…」
こうなったら待つしかない。腰を下ろしたフレイを、カズイは物珍しそうに眺めていた。
「よ、トール。フレイ、何しに来たんだ?この間も来てたし、何かあったのか?」
トールはカズイの質問には答えず首を振り、微苦笑を浮かべただけだった。
「さぁ、僕も知らない。待つって言ってんだから、待たせてあげたら良いさ」
キラとサイが来るまでほんの十数分、といったところだったろうか。しかしそれはフレイにとっては恐ろしく長い十数分だった。
「キラ、フレイが用があるってさ」
トールは努めてさりげなくキラに声をかけ、フレイを指した。
「人が増えると実験の邪魔になるから、悪いけど外でやってくれない?キラ、フレイ…」
キラとフレイの背中を押すようにして、トールは二人を外に出して戻ってきた。
「…?トール、フレイは何しに来たんだ?キラは?」
サイもカズイと同じ質問をトールに浴びせたが、トールは肩をすくめて「さぁ?」というジェスチャーで答えただけだった。
キラは、突然の事に驚いて口を開く事が出来なかった。フレイの方から、言葉を告げなければならない。
長い沈黙。
「あ、あの…」
ようやく口を開いたフレイだったが、舞台の上とは勝手が違い、次の言葉が出てこない。
「あの、キラ…この間は、ごめんなさい…私、とんでもない事、しちゃって…」
果たして聞こえているのかどうか分からないほど小さな声だったが、それでも一語一語、はっきりと、確かめるようにフレイは続けた。
「キラに、ちゃんと、謝らなくちゃって…私、ほんとに…」
16
キラにとっては意外な言葉だった。まるで、あの時の自分の言葉を聞いていないかのようなフレイの言葉に戸惑っていた。
「そんな…フレイ…そんな事、無いよ…」
フレイの目は、舞台の日の夜と同じに思えた。だから、キラも同じように素直な言葉を言わねばならないと思った。
「サイの誕生パーティーの時の事は、気にしてないから…ね、フレイ…」
フレイは言葉を止め、じっとキラの言葉を聞いていた。その目に、表情に魅入られるように、キラは言葉を続けた。
「でも、ほんとはあの時…僕は…ちょっと、嬉しかったんだ…」
フレイは「えっ?」と目を見開き、キラの顔は真っ赤になった。
「僕は、フレイに…フレイを…」
「どう言う事…?」と言いそうになってから、フレイはキラの言いたい事に気づいて同じように顔を赤くした。
予想外の言葉、と言えば嘘になるのかもしれない。と今さらながら気づいた。が、今すぐそれを受け止められる程の余裕はフレイには無かった。
「あ、あの…私…」
また、しどろもどろになってしまうフレイ。汗が噴き出してきた。
どうしてこうも、普段はうまく気持ちを伝える事が出来ないのだろう。
「あの…ごめんなさい!」
叫ぶように言うと、フレイは走った。
「フレイ!」
フレイのまとめていた髪がほどけて、広がりなびいていった。
「フレイ、その衣装も似合うじゃない」
「ほんと、意外だよね」
男装のフレイはいつもの雰囲気とは違っていて、かなり大人びて見えた。
もっとも、フレイはパンツに下半身が締め付けられて動きにくい感覚に慣れる事が出来ず、あまり好きではない。
「ま、やるしかないわよね…」
そこへ、部長が入ってきて、
「フレイ、今日の幕切れの口上お願いね。これも練習になるから。これ、原稿ね」
基本的に口上は一年生が交代でやる事になっていて、今回はフレイの番だったのだ。
手渡された原稿を読みながら、フレイはぼんやりとキラのことを思い出していた。
舞台も二度目になると周りを見る余裕が出てきて、以前は見えなかったものも見えてくるようになってくる。
観客の熱気もそうだし、一人一人の顔も、ある程度は見えてくる。
トールとカズイ、サイは前と同じように並んで座っていた。が、キラの姿はそこにはなかった。
しかしフレイは、キラの気配を感じていた。確かに、このどこかにいる、と思った。
そして、舞台が終わり、幕切れの口上を述べる為にフレイは居並ぶ出演者から一歩前に進み出た。
17
『……ご婦人の方よ、貴方が殿方を愛しいと思うように、この芝居を愛でてください。それから殿方よ、貴方がご婦人を愛しいと思う心にかけて、ご婦人共々このお芝居を愛でてください。もし私が女でございましたなら―』
フレイはここでひとつ、息を吸った。
『わたしの好きな方、わたしを包んでくれる方に、心から接吻致したいのです。そしてきっと、わたしの心を、想いをお汲みになって、わたしを愛してくださるでしょう。…』
フレイの後ろで聞いていたミリアリアは驚いていた。部長が渡した原稿とは違っていたからだ。
「フレイ?…もしかしてアドリブ?それにしても…」
しかし、フレイは淀みなく言葉を繋いでいる。事前に考えていたものに違いなかった。
どういうつもりなのか分からなかったが、舞台の上ではフレイに任せるしかなかった。
後ろから見ていると、フレイが一点を見つめている事に気が付いた。その視線は観客席の一番後ろ、暗くて舞台からはよく見えない所だった。
あそこに誰か…フレイがこの言葉を伝えようとしている人がいるのだろうかとミリアリアは想像した。
一体誰なのだろうかと目を彷徨わせると、トール達が目に入り、そこにキラがいない事に気が付いた。
「…?…もしかして…」
とにかく、この場が終わってから確かめれば良い事だと思っている間も、フレイの言葉は続いた。
『……こうして、わたしが膝を折ってお礼いたします時には、暖かな眼差しをお向けになって下さいますでしょう。では、さようなら!皆様も、さようならご機嫌ようと仰って下さいますでしょうね』
そこで幕切れの口上が終わると、フレイは客席に向かって頭を下げ、それと同時に拍手が鳴り響いた。
振り返ってミリアリアをはじめとする他の出演者の所に帰ってきたフレイには、満足げな笑みが浮かんでいた。
部長は呆れたような表情を浮かべていたが、どうやら観客には受けたようなので怒るわけにもいかなかったようだ。
もっとも、「口上を変えるなら一言言ってよね!」と注意され、フレイは舌を出して謝った。
ミリアリアはトールの所へ行くと、「キラはどうしたの?」と聞いた。
「え?キラ?さぁ…今日も見に行かないかって誘ったんだけど、遅れるって言って…席取っておいたんだけどなぁ。あ、ミリィ、今日の役凄いはまり役だったよ」
ありがとうとトールに答えながら、ミリアリアはフレイの行動に合点がいったので内心おかしかった。なにも舞台の上でやらなくても。
果たして、キラは自分に向けられた言葉として聞いたのだろうか。次、キラと会った時、お互いどんな顔をして、何を話すのか。
「ミリィ?何がおかしいのさ」
「え?うぅん、何でもないわ…あ、明日、キラは研究室に来るかしら?」
「そりゃ来るだろ。…キラに何か用でもあるの?」
その質問には首を振りながら、着替え終わったフレイが出てくるのを見つけると、からかってやろうか励ましてやろうかと思いながら、ミリアリアは「フレイ!」と声をかけ、手を振って応えたフレイの所へ駆け出していた。
807 名前:もつとたのしくて[sage] 投稿日:2003/10/06(月) 00:08
当初予定と微妙に変更しましたが、とりあえず終わってほっとしてますが、
タイトルは、最初どうしても思いつかなくて悩んでいる時に見つけた詩のタイトルをそのまま借用しました。
仮タイトルのつもりだったんですが不精なのでそのまま…
その詩を引用して終わりにしたいと思います(ふるい詩なので仮名遣いが古いのですが)。
もつとたのしくてよいでせう
明るい色に塗りませう
わるい筆だがかまはずに
もつとたのしく描きませう
これはお前の似顔です
似てない姿がとりえです
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