意思1



…確か、あの日は雪が降っていた。
とても底冷えのするとてもとても…寒い、日。
だけれども、彼女、フレイ・アルスターの手を握る、父の手からは確かに温
もりがその掌を通して伝わっていた。

眠りと覚醒の繰り返し、そんな単調な毎日を送っていると次第に夢と現の境
が曖昧になり、ふと此処が何処で、何をしているのかが分からなくなった。
そういう時、フレイはつかの間幸せになれた。
だけれども、現実はまるで鋭く尖った短剣のように、彼女の首元に突き刺さる。
ヴェサリウス艦内、お仕着せのザフト軍の制服。
全ては違和感に満ち、何より彼女の傍らには…誰も居ない。
…母の形見と、父から送られた小さなイヤリングに白い指を絡め、それを弄び
ながら、父の欺瞞と優しさに想いを馳せる。
そう、父と…あいつは似ていた。

「…人は大地より出で、終には土に還らん。神聖なる大地との契り、汝は誓う
と約束出来るか、如何……?」
蒼を基調にした、時代がかったその室内に跪く、父と幼い頃のフレイ。
全てのメカニックな物を廃したその室内には、外の冷たい冷気が流れ込んでいた。
「はい、清浄なる大地に誓って」
フレイが覚えている限り、或いは彼女の前では何時も笑顔を絶やさなかった父が
その時だけは、表情を消し、そのフレイ達を囲んでいる不思議な人たちに対し、
畏まっているのが不思議で…少し怖かった。
父の隣で小さく震える幼い彼女に対しても、周囲の蒼色に黒い腕章を付けた者達
が同じ文句を、同じように唱えた。
…父には此処に来る前に、何度も自分と同じ言葉を復唱するように念を押されて
いたが、彼女には良く分からなかった。
ただ、怖さと寒さで身が竦み、助けを求めるかのように、父に視線を向ける。
父は頷きながら、小さく囁く。
「…さあ、きちんと言えるね…フレイ」
フレイはコクコクと頷き、たどたどしく、呪文のように訳の分からない言葉を、
父と同じように畏まって復唱した。
だって…パパがそうすると誉めてくれるから。



意思2

「蒼き清浄なる大地に…か。面白い言葉遊びだとは思わんかね、君は?」
連合のプロパガンダ映画に何度も頻出するその言葉を、いや全てを嘲るように、
フレイの生殺与奪を握る男…クルーゼが呟いた。
フレイは父と声が類似しているこの男に対し、別段悪意は持っていなかった。
…ただ、それ以上の感情はなんらなかったのだが。
強いていえば、溺れ掛けた時、指の先に触れた一本の藁のようなもの。
そして、以前はフレイ自身がある少年にとっての藁だった。

「…私には、政治は分かりません」
ふ、とクルーゼは口元を歪める。
「知っているかね、人間には二種類の者が居る事を。…愚かな愚者と、知者ぶった
愚者だがね…君は前者ではあるまい?」
そこで口を噤み、フレイの耳元に目を遣る。
「…そして、君が身に付けている物…その意味、だからこそ私は君に働いて貰お
うと思ったのだよ」
フレイは俯き、ぎゅっと掌を握り締める。
想いは、世界がこんなにも暗いとは知らなかった…幼き日へ。

「ジョージ・アルスター外務参事官、フレイ・アルスターの両名を我等が大地へ
の奉仕者と任ずる」
その言葉を聞き、パパは安堵の溜息を付いていたのが何故か、その日の記憶の中
でも、より強く脳裏にこびり付いていた。
フレイも何だか嬉しくなり、そんな父の手を握る。
驚くほど汗ばみ、そして冷えていた。



意思3[sage] 

と、突然、周囲の何だか怖い感じのする人たちの間から、つと、彼女たちの前に
一人の女性が歩みより、そっとフレイの前に跪く。
仮面めいた笑顔をフレイに向け、フレイも釣られてにっこりと微笑んだ。
その女性はフレイの頤に優しく触れ、その手を頬、うなじ…と上へ上へ這わせて
行く。
それは突然来た。
「…痛いッ!!」
フレイは反射的に耳に手をやろうとすると、父がその手を留め、フレイに向かい笑
みを浮かべた。
それだけで良い。
それだけで…もう痛みは忘れることが出来たから。
「もう終わったよフレイ。ほら、見てごらん」
父が差し出す鏡に映る自分に当然変化は無く、ただ海の底のように真蒼な丸い球体
のイヤリングが、白い肌に栄えていた。
「わぁ!ね、パパ。丸い丸いお月様…ううん、地球みたい!」
思った事をそのまま口にすると、父は彼女の頭を撫で、周りの人間も仰々しい拍手
と歓声をフレイに注ぐ。
訳がわからないけれど、嬉しかった。

時は過ぎ行き、時代も彼女も何一つ留まる物は無い。

鍵は彼女により齎され、扉は開かれた。

そして、今フレイは壇上に上がっている。
この放送は自らの行為を正当化し、その優位を誇るために連合のサザーランド大佐
により仕組まれた、一層茶番というに相応しい物と誰もが知る、そんな程度のもの。
だけれども、そこにフレイは立っていた。
何故かは…自分の中でもまだ良く、形にならない何かが、あったから。
だから、フレイはその答えを自らの内に探し、過去を彷徨う。



意思4

その儀式の最後はこう結ばれた。
「蒼き清浄なる大地の為に」
母は物心が付く前に他界し、フレイには父しか居なかった。
ただ幼いながらも、父が何か悩みを抱えていて、その苦悩は酒量の増加という目に
見える形で表しだしてからは、彼女にとって父は…パパであり、また同時に守るべ
き、自らの伴侶ともなった。
…幼くて、何も形にならなくても、フレイだけはそう思っていた。
どうして、当時の自分にそれが分かったのか、今でも判然とはしない。
ただ、妻を無くしてからのジョージにとって世界は灰色の仕事と、妻の忘れ形見で
あるフレイしか存在せず、その仕事は完全に行き詰まっていた。
本来、官僚であるジョージにとって、政治と実務は切り離すべきものであった。
しかし、暗黙の掟は旗色を判然とさせない人間は排斥する。

「ね、パパ。私、えと…う…んと……ブルーラベンダーになりたい」
その日も酒が進み、どんよりと酒気で濁った目をフレイに向け、ジョージは笑った。
「…はは、家の小さなレディはまだそんな事を言っちゃいけないよ」
ぶんぶんと、首を振りフレイは繰り返す。
「ううん! だって…パパ、そうした方が良いって…そう思ったの、だから…」
その後の言葉が続かず、フレイは俯き、ぎゅっと唇を噛んで佇んでいた。
そんなフレイを抱き上げ、ジョージは娘の頭を愛撫する。
しばらくの沈黙の後、ジョージは道を定めた。
それは良心を売り渡した返礼に、彼に栄達を齎す道であった…。

だけれども、ジョージが一人になると何時も毒づいていた言葉を忘れられない。
「…私は、娘の尊厳を売った…と」



意思5

「で、趣旨は分かってますよね…? スマイルと泣き文句、そして核施設がもたら
す恩恵を連呼…OK?」
ヤキン・ドゥーエを核の業火のより焼き払い、世界を再び蒼く染め上げる為に、プ
ラントを核により滅却しようと目論んでいる男がおどける。
「アズラエル様。その点、十分彼女に言い聞かしております。それに彼女とてアル
スター家の娘、我等の趣旨を分からない歳でも無いでしょう」
「ふぅん、ま…当然ですね」
その言葉とは裏腹に、この世界に向けてのプロパガンダは内々で行われていた。
それだけ世論が移ろいやすく不安定であり、‘万が一の不測の事態‘には、彼女と
その映像は永遠に闇に葬られる予定でもあった。
立会人の一人として、ナタル・バジルールが選ばれたのも、彼女が所謂反連合の
立場に以前属していたからに他ならない。
一人ぽつんと広い会見席に溶け込んでいるフレイを見つめながら、ナタルは悲痛な
思いに囚われ、嘆息する。

フレイは茫洋と立ち上がり、お決まりの文句を連ねていく。
募る、虚しさを噛み締めながら。
「…私の父は民間人でした。でも、そんな無抵抗の父も殺されました……」
そう、だから私は父を殺したコーディネーターが憎かった。
だから近くにいた少年を道具にし、だけれども父と同じようにフレイ自身もブルー
コスモスにはなり切れず、だからこそお互いに傷つけ合い、心身を疲弊させた。
「そして、私は戦いました。最初は逃げていただけだったような気がします。だけ
ど、それでは駄目、戦わなくてはと自身の良心と神聖なる大地を守るため……」
自身でも不思議なほど、空虚な言葉が唇から噤まれて行く。



意思6

そう、私には政治は分からない。
何時か言った言葉に、嘘は無い。
人と人とが殺し合い、憎み合い、その痛みを体験を持って知ったフレイにとっては、
戦争を続ける為のお約束としての政治は分かり得なかった。
彼女は常に、自らの感情と…状況に流されてきただけだから。
そうして、罪を重ねて、その罪に気づき、本当は求めていたものを傷つけていた事
を知ったときは、既に手遅れ。

「……でも、それは間違っていました」
自分で言った言葉にフレイ自身驚き、沈黙が支配する場に立ち尽くしながら、今の
言葉が自身の今の感情に、想いに相応しいと理解した。
不思議と恐怖は無く、全てが透き通っている。
サザーランドが立ち上がり、無言で保安兵に指示を飛ばした。
録画機材の停止、削除。
そしてフレイへと拳銃を手にした、保安兵が歩み寄る。
それを挑戦的にねめつけながら、一層演説卓に乗っている水差しの水でもかけてや
ろうかと、フレイは思った。
死ぬのは怖い。
…そして……キラに会いたかった。
サイに謝りたかった。
みんなに会いたかった。



意思7

と、その時。
ぱちぱちぱち。
芝居がかった拍手が人気が絶えた場に木霊し、皆がそこへと目を向けると、足を倣
岸に組みながら、ムルタ・アズラエルがせせら笑っていた。
「面白い! これは面白いなぁ。ビジネスの世界では意外性は有効な場合もありま
すが、この場はねぇ…」
そして、手でサザーランドに合図を送り、保安兵の動きも止まった。
「良いでしょう。その勇気、いや無謀さに免じて最後まで話して下さい! 一世一
代の、そして最後の弁論、いやはや期待しちゃいますよ」
このアズラエルの気まぐれな一言で、二つの事が決定された。
誰も見るもののない、演説の続行。
そして、フレイへの極刑。

向こうではバジルール少佐と保安兵が揉み合っていた。
それすらも、今のフレイにとっては何だか遠い世界のような気がする。
…フレイは記憶を手繰りながら、ようやく一つの埋もれていた記憶を掘り起こした。
その記憶は痛みが伴う、だからこそ自身の心の奥底に埋もれていたもの。

「…私は一人のコーディネーターを憎みました。そして…確かに愛しました。その
二つの感情はどちらも私に取っては真実。彼は私の道具で、私は彼の道具…そんな
関係だった…けれど」
突然のフレイの言葉は場違いで、だからこそ一瞬だが場は彼女の独壇場となった。
沈黙の中、淡々と自らの心中を曝け出す。
「けれど…いえ、今も憎しみは消えません。理由は無い…だけれども、憎しみが消せ
ない…。コーディネーターを殺したい、私はNJCを世界に解き放ってしまって、だ
から沢山人を殺したけれど、でもまだ…殺したい」
アズラエルの拍手の音が、再び空虚に響く。
意に返さず、フレイは続ける。
「何故…?とずっと自身に問い掛けて、でも答えが出なくて。それに…やっぱり今で
も、会いたくて…。核の焔で焼け爛れるコーディネーターを想像し、何度も何度も
笑って。どれもが本当だから…」
「フレイ・アルスターッ! もう、良い…。もう……これ以上自分を傷付けな……」
ナタルの言葉を遮り、小さく微笑み返すフレイ。
「…私は自分を欺いていました。パパは…父は隠していたけれど、物心がついて来た
私は真実を知って…それから自分を騙し続けて生きて来ました」
「簡単な事です」そう前置きし、フレイは泣き笑いの表情を浮かべ、寂しそうにナタ
ルを見つめながら。



意思8

「最初に言ったように、私には政治は分かりません。でもコーディネーターを憎みま
す。何故なら…」
アズラエルを指差し、続ける。
「あんた達に、後づけで前頭葉前頭野に組み込まれたナノマシーンで、シナプス配列
をそう、組み込まれたから。遺伝子操作、そう言った単語に対する嫌悪感を植え付けて。
それをされたのが5歳だったけど、だけどね…それが全てじゃないのよっ!」
辺りがざわめきだす。
流石に狂信的なブルーコスモスに属しているとはいえ、脳内を幼少時に操作され、配
列を任意に定められて、平静を装えるものはいない。
「……連れて行ってよ。もう、話は十分。くだらない与太話には飽きたよ、僕は」
その時、何かを思いついたかのように、アズラエルはにたりと笑みを浮かべ、顎に手を
やる。
「…なら、試してみましょうか」
そう言いながら、懐から覚束ない手つきで拳銃を取り出し、フレイに突きつける。
「僕はこれから経済的に、負債となったコーディネーターの完全抹消に向かいます。で、
ですね。君がそれに賛成したら何もしません」
芝居じみた動作で、空いている方の掌を開いてみせる。
「…ただ、君がその妄想の脳内シナプス配列に反して、これに反対したら…私は君を賞
賛しましょう! そして、死んで頂きます。どう、お分かりですか?」

暫しの沈黙の後、フレイはほっこりと寂しげに微笑み、唇から言葉を紡ぐ。
フレイの頬に、一筋の光の軌跡が走っていた。

「………キラ、ごめんね」

そして、銃声が響いた。


戦後、ブルーコスモスは解体され、穏健な自然保護思想にシフトしたという。
それには盟主が戦陣により倒れた事の他に、リークされた後天的な人体への人為操作が
絡んでいるという噂が流布しているが、戦後弱体化した連合はそれとブルーコスモスと
の繋がりを公式には否定している。
だが、条件付きながら自治権を獲得したプラント側による捜査は進められていた。
尚、ブルーコスモス盟主ムルタ・アズラエルは何故か、爆散する寸前のドミニオンから
脱出せず、ドミニオン艦長と運命を共にしたことから、謀殺という説も後世に一定の指
示を集める結果となった。



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