遺された者の祷り 



陽射しの強い午後。

「あー…」
気まずそうに、男は視線を彷徨わせた。
「遅っせぇな、あいつら……」
いかにも、間を持たせようとして発したと思われるその呟きはすぐに終わり、
かわりに、風が木立をゆらすざわざわという音が、間を埋める。
「座りましょうか」
その男の前に立っていた女は、ふわりと笑うと、道端に腰を下ろした。
女の纏った長い薄紅色のスカートの裾が、無造作に伸びた芝生とすれあう。
「あ、おい…」
「立って待っていても仕方ないでしょ?」
女は、風がさらおうとする赤い髪を手で抑え整えながら、
まだ立ったままの金髪の男を見上げた。
「そりゃあそうだけど」
だが男は座るそぶりを見せなかった。
女はそれを察し、目を前方に移しながら言葉を返す。
「並んで座るような仲じゃあない、って?」
「……」
男は答えず、手にもった花束の形がくずれないよう、気にしながら腕を組んだ。
大輪の黄色い花と、その花束を持つ浅黒い手とのコントラストが鮮やかだ。
男は女につられるように、前方に続く草原を見下ろす。
芝生と言うには不揃いな雑草が生え広がる中に、ところどころ茶色い地肌が見える。
またよく見れば、白褐色の石片や、ガラスの欠片が散らばっている。
一年前に終結した、戦争の傷痕とでも言おうか。
多くのものが失われた戦いだった。
二人が初めて顔を合わせた、1隻の戦艦もまた、そのひとつ。
二人が知る、あるパイロットも、そのひとつ。



しばらく二人は黙って、陽を浴びていた。
この丘から見下ろせる墓地に、宇宙に散った彼らは、いない。
それでも、花だけでも添えたいと、集まる事にしたのだった。

男がちらと腕時計に目をやり、他の者たちの到着を危ぶみだした頃、
女はまた、前を見たまま口を開いた。
「…あの時は、…ごめんなさい」
「あの時?」
男はすっとんきょうな声をあげた。
が、直後、揶揄するような笑みを口元に浮かべる。
「あ〜らら、謝られるとはおもわなかったねぇ」
言いながら、男はスッと両足を肩幅に開き、花束を肩の高さで両手に持ちかえた。
銃を構えるような姿勢だ。
「『コーディネーターなんて、皆死んじゃえばいいのよ!』…だっけ?」
「そうよ、それよ」
女は、謝ったわりには悪びれもせずそう答えた。
「ありゃあ流石にびびったね」
「でしょうね」
「ちびりそうだったよ」
「そこまで聞いてないわよ」
「ははっ」
ぴしゃりと言う女の言葉に男は思わず笑い、…そしてすぐその笑顔をしまいこんだ。
「…謝るのは俺の方だ」
「……私に、じゃないでしょ」
「そうだな」
男はまた、腕を組みなおした。陽の光に、眩しそうに目を細める。
大きく一陣の風が吹き、女は、はためくスカートの裾に手をやった。
かわりに手から解き放たれた暗紅色の髪が風に広がり、つややかに陽光を弾き返す。
「謝り足りない事ばかりだ…」
「……」
男の呟きに、今度は女が黙り込む番だった。



「はじめ艦でみて、バカにしたことも。彼氏の事も。他いろいろ、感謝だってあったさ」
女は眼を閉じた。
「だから、戦うことで返せればなって、思ったんだ。思ってたんだぜ」
男はたんたんと語りつづける。だがその声はこわばっていた。
我知らず、女は耳に全ての神経を集中させていた。
男の声だけでなく、風の音さえも聞き取れるほど。
何故かその後に来る言葉が、わかった気がしたからだ。
「なのにっ、…守れなかったんだっ……!」
女の肩が震えた。
スカートの裾を握り締めるその手が、
血の気が引くほど握り締められる。
男はそれにふと、気付いたようだった。
「悪ぃ…お前のほうが、もとはあの艦にいたんだもんな」
女は青灰色の眼をふたたび開けた。
「ううん、違うの。続けて」
「そっか」
男はとってつけたようなのびをして、また口を開く。
話す事が贖罪にはならなくとも、いや、ならないからこそ、話してしまいたいのかもしれなかった。
「…ジンとかゲイツとか…中に知ってる奴が乗ってるかもしれなかった」
男の口にまた一瞬、皮肉げな笑みが浮かぶ。
「やっりにくいよなー…なんてバカな道選んだんだろうって思っちまったぜ、流石にさ」
「……」
「そして俺の目の前でアークエンジェルは沈んだ」



「守りたいって気持ちは嘘じゃなかったさ。
…今さらそんな事言っても、誰も信じないだろうけどな」
「信じるわ」
女はすぐさま決然と答えた。
男が一瞬気を飲まれたほど、その語調は強い。
女は、キッ、と前方の空を睨みつける。
「今なら。信じるわ」
宵の空のような瞳が揺れた。
「もし…知ってるヤツ殺したくなくて、本気で戦ってなかったかもしれなくても?」
男は、本当に謝罪すべき相手のかわりに、今、隣りに座るこの女に
そう問い掛けてしまう自分を、卑怯だと思った。
そして、返ってきた答えは、厳しいものだった。
「それは赦せない」
「…だよねぇ」
男は自嘲気味に言った。
「言い訳にもならねえよな、こんなの」
「……でも…」
「ん?…何?」
スカートの膝に顔を半分埋めるようにして言う、その声を聞き漏らすまいと、
男は思わず女の顔を覗き込む。
その仕草に、僅か一瞬、ある人の姿が重なり、慌てて女は眼を伏せた。
(悪い、癖だ…)
重なったのではない、無理に重ねてでも、その人の影を見たいのかもしれなかった。
「赦さないけど、でも…」
女は、胸にこみあげるまま、言葉を、口にした。
「…私も、赦されない事ばかりしてた」



「それは」
男はそれに口をはさもうとして、だがそこで止めた。
その言葉が誰に向けられたものか、急に、理解できたからだ。
「だから…」
「…だから?」
男は痛ましげな顔で、先を促す。
「だから、謝らせてよ、……」
最後の方は、嗚咽にまぎれて、なんと言ったかはわからなかった。
だが男は、それが、喪われた者の名であることを、確信していた。
「なんで、あんたはここにいないのよっ……!」
女は泣き崩れた。
男は、目蓋を閉じた。
忘れられない声が、耳に蘇る。
(『なんで、あんたみたいなのがここにいるのよ!』)
「…守ってあげられなかった」
ともすれば風にかき消されそうな、男の無造作な低い声に、
女ははっと顔をあげる。
自分が、間違った相手に感情をぶつけてしまった事を少し悔いる。
だがまた、相手も自分でない者に話し掛けているのが、理解できてしまったのだ。
いつの間に、他人の痛みも、わかるようになってしまったのか。
「…いいわよ」
自分の言葉なのか、相手の想う者の替わりに答えているのか、
わからないまま、女はそう言った。
「それでも、守ろうとしてくれてた…それはわかるから」
また、相手に、彼を重ねてしまったのかもしれなかった。

「帰る場所も壊した」
「…あなただって失ったじゃない」

「傷つけた」
「…私こそ」

「ごめん」
「…ごめんなさい」

二人はそれきり、黙り込んだ。
草の上を風が渡る音だけが響く。



この丘から見下ろせる墓地に、宇宙に散った彼らは、いない。
それでも、謝罪の言葉を、聞いて欲しかった。
何一つ、赦されなかったとしても。
声を聞きたかった。
それが、自分を責める言葉でもいいから。



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